ついに迷走を始めました

ブログ書くんだってよ 

ホームシック衛星2024年に行ってきた興奮に関する雑文

(ホームシック衛星2024年に行ってきた。あまりに素晴らしいライブだったのでここに思ったことを書き残しておこうと思う。)

 

現代において暦といえば西暦が使われており、ほかにも元号やら太陰暦やらと色々な暦が存在する。これらの暦というのはある時点を基準にした時間の相対的な尺度を提供するものである。

西暦ならキリストの誕生を基準にしている。その基準がBUMP OF CHICKENの活動開始1996年2月11日であって悪い理由があるだろうか。そうすれば今年が28年目という特別な年であり、ホームシック衛星2024が開催されたことの十分な理由になる。

つまりどういうこと?

 

BUMP OF CHICKEN TOUR ホームシック衛星2024」の特設ページにVo./Gt. 藤原のテキスト解説「ホームシック衛星2024について」とアルバム「orbital  period」付属の88ページブックレット「星の鳥」を公開しました | BUMP OF CHICKEN official website

 

ホームシック衛星2024というのは2008年頃に開催されたホームシック衛星・ホームシップ衛星というツアーのリバイバルツアーである。

このホームシック衛星・ホームシップ衛星(2008)は当時発売されたOrbital Periodというアルバム曲を中心としたツアーだった。メンバーが28歳になった際に作成されたアルバムであり、その28という数字にも色々と意味が込められた上で作成されたアルバムだった。つまりは、随分と思い入れのある曲たちを演奏するツアーだったわけである。

そして、このOrbital Periodを擦り切れるほど聞いていた私にとっても、個人的にも思い入れのあるアルバムツアーであった。

なぜならいつだって思い出というのは主観的なものであるからだ。

この2008年のアルバムツアーをリバイバルするというアナウンスが去年突如なされた。いや、実際BUMPの公式発表はいつだって唐突なのだが、これに関しては特に驚いた。

というのも、今までBUMPがリバイバルツアーなんてやったことはなかったし、しかもOrbital Periodなのだから。

 

ちょっと昔話だが、BUMPというのは2010年前後までは極端にメディア露出を避けていた。いまや殆ど全ての新曲が何らかのドラマ・アニメ・映画のタイアップだが、そういうのことすら無い時期というのが特に2008-2012年くらいにあった。(例外はいくつか存在するが)

そうなると彼らの存在を認識できるのは週に一回の日曜深夜三時のPONTSUKA!!YouTubeに違法にアップロードされたホームシップ衛星(さいたまスーパーアリーナ)のライブ映像だけだった。そしてそのライブ映像で演奏されていた曲たちがOrbital Periodの曲であった。

また、ホームシップ衛星(2008)がきっかけにライブというものに参加するようになった。

上記のライブ映像を中学校の登下校の最中に気が狂うほど聞いていたため、その次のアルバムツアーであるGood Glider Tour (2011)が開催されると聞いた時には、なけなしの金をはたいてチケットを購入した。

ライブ会場は渋谷のNHKの横にあったSHIBUYA-AXというライブハウスだった。中二だった私は5時間目の授業が終わると居ても立っても居られなくなった。当時はグッズ整理券や通販などはなく、グッズを購入したければ早くライブ会場に到着することが何よりも重要だったからだった。私は学級委員であったのにもかかわらず、その担当であった下校前の集会を欠席し、その後の担当だった教室掃除を当時付き合っていた彼女に任せ、中学校から約2km先のSHIBUYA-AXまで全速力で走ったことを覚えている。

会場に到着すると、今の私と同じくらいの年齢のファンがグッズ販売の白いテントの前にそれはそれは長い列をなしていた。恐らく12月の寒空だったと思うが、私はそこで学校帰りの制服でツアータオルとリストバンドを購入した。ちなみにこのツアータオルは修学旅行先の京都のタクシーの中に置いてきたまま無くしてしまった。

 

 

閑話休題。つまりは、それほどまでに1つ1つのライブや曲に思い入れのある時期に聞いていたアルバムがOrbital Periodであった。

 

情熱は約束を守り続ける。そして開催されるリバイバルライブツアーは明らかに気合の入ったものだった。ツアー開始が2/11という結成記念日だし、グッズは当時のデザインを意識したものになっていた。おまけに近年改善されたはずのグッズ販売列は終わりが見えないほど伸びており、開演1時間前に到着した私は全くグッズを購入することが出来なかった。ここは再現しなくてもよかった。

 

セットリストは完全に当時の再現だった。いや、厳密には数曲だけ異なっていたが構成は殆ど当時のまま演奏した。ライブ初演奏の曲や既存の曲を組み合わせた新曲など、発売16年目のアルバムに新しい解釈が生じ、近年高騰しているチケット代以上の内容だった。

 

BUMPの曲は藤原がある時期から明言し始めたように、解釈が一意に定まらないように作られている。特に近年の曲はその傾向がある。つまり、聞いた側で好きなように受け取ってくれということである。そしてその解釈が自分の人生(というと大げさだが)やら環境の変化とともに変化する。当時なんとも思わなかった曲が10年経って物凄く"効いて"きたりする。

Orbital Periodを聞いていた中学生のころと今では、適当な人生を送ってきたとはいえ感じるものが違う。演奏された曲の中から特に印象的だった曲を数曲とそのフレーズをあげておく。

最近忘れていた言葉。元ネタはFLAME VAINの「情熱は約束を守る」から。

 

君に嫌われた君の沈黙が聞こえた。君の目の前にいるのに遠くから聞こえた。

近年はアンコール曲で多かったメーデーだが、さすがホームシック衛星なので一曲目だった。最初からクライマックスという感じだった。

 

  • 東京讃歌

嘘が多いのはどこでもだろう。星が見えたってどうせ飽きるだろう。すれ違う中には似た理由でここへ来た人も少なくないだろう。

Orbital Periodではなくpresent from youからだが今回初演奏された。イントロのハーモニカは無く4本での演奏だったのでシンプルだった。

 

  • ハンマーソングと痛みの塔

別に今更辛くもないけど誰かが見てくれたらな。これだけあれば許されないかな少し優しくされるくらい。

独特の手拍子を最初から煽る演出だった。最近優しさが足りないです。

 

  • supernova

君を忘れた後で思い出すんだ。君との歴史を持っていたこと。

君を失くした後で見つけ出すんだ。君との出会いがあったこと。

毎回ここで涙腺崩壊しそうになるが今回は耐えた。

 

 

ということで素晴らしいライブに元気をもらいました。

 

 

 

 

 

登攀

ジッヘルは

 岩登りや氷雪登攀(とうはん)で、登攀者が互いの転落、滑落を防止するために、からだをザイルで結び保持すること。

という言葉で山登りの際に自分や仲間の体が落ちていかないよう、身の安全を確保する動作のことを言うらしい。私が生まれる前に他界した曾祖父はこの言葉を、これまた既に他界した祖父に事あるごとに言っていたという。

この曾祖父は戦前、植民地だった台湾で会社をやっていて、終戦時には社員一同引き連れて、蒋介石がやってくる台湾から本土に引き揚げてきた。住んでいた国を追い出され逃げてくるというのは今では想像もつかないが、この経験が登山好きの曾祖父には登攀者が互いの身を確保しあうジッヘルという言葉に結びついたのかもしれない。

 

年始に一人暮らしとなった田舎の祖母に会いに行った。以前までは新年に必ず東京に出てきていたが、祖父が他界し、祖母自身の体も悪くなったため過疎化の激しい田舎から出てくることはなくなった。今や地元の教会で日曜の礼拝に行くのがほとんど唯一の社交だという。

この他界した祖父が上京した際、必ず別れ際には握手して「しっかりやれよ」と言っていたことを思い出した。認知症で死の半年前に面会したときにも握手するなり私のことを認識して同じ言葉を繰り返していたことを思うに、忘れない記憶というのもあるのだと思った。多分これもジッヘルの一種だったんだろうと思う。

 

果たして自分はジッヘルできているだろうか。人生は登山のようだというのは使い古された比喩だが、もしそうだとしたら適切に身の確保をできているだろうか。登るべき山も頂上も無数にあるのに、登るべき山は定まっただろうか。また、誰かの身を確保することはできただろうか。

 

なんだかんだでモラトリアムは終わりを告げて、進むべき方向とやるべき努力の量が見えてきた。山の1合目で身を確保したがしっかりやれているだろうか。自分のことだけ考えているようでは、おそらくジッヘルはできてはいない。

自分自身の身を助けたつもりが誰かを助けることになっていることがある。知らぬ間に互いの身を保持していたのだろうが、そういうことに後から気づく機会も多い。自分自身の身を確保できたときに、誰かが滑落しないようにできるのはまだ先らしい。

 

2023年も終わるらしい

2023年がもうそろそろ終わるので清算しようかと思い久しぶりにブログを開いてみた。基本的に誰も読んでいないので独り言の羅列、推敲とは無縁の記事だけれど、さすがに何かネタが無いと何も書けない。

今年は文章を書く機会がこれまでに以上に増えたが、そのほとんどは英語だったので日本語で長い文章を書くというのは随分と久しぶりになる。おかげさまで英語でのwritingというのは随分と上達した(らしい)けれども、その分日本語の文章がヘタクソになっている気がする。このブログがそのリハビリになるとは思えないけど。

何かネタがあったかなぁと思い返してみるものの、特に目立ったことの無い1年だった。原因はなぜかと考えてみると、キャリア的にちょうどgap yearだったからだと思う。悲しくも仕事人間になってしまったため、その年がどういう1年だったかというのは仕事の内容で殆ど説明できてしまうのだ。

 

1月に訪れた牛久大仏。デカい。

1月から3月までは修論を仕上げていた。実際、殆ど12月中に完成していたから余裕をもって提出した。大阪と徳島で研究集会があったのでこの研究を報告をした。

徳島では少し感慨深い経験もした。徳島はラーメンが名物なのだが、個人的に思い入れのある中華そばいのたにに行けた。というのも、はるか昔、リアル友達0人の日々に現実世界の全てから逃避するためMMOの世界に潜っていたころ、徳島出身のプレイヤーのブログをよく読んでいた。その彼が徳島でオフ会をしたという記事(http://ninehalt.blog4.fc2.com/blog-entry-547.html)に出てきたのがこのいのたにというラーメン屋だった。はるか昔、2007年の記事ではあるが我ながらよく覚えていたなぁと思った。お店もまだ営業中で16年越しの願いを叶えたのであった。

徳島ラーメンの名店。

 

4月からは残念ながらカタギの道から外れ、御D進したわけだが、正直命を削るような毎日を過ごしていない。博士課程というのは地獄の道、貧困と過剰な労働により精神がすり減ると聞いていたがそうでもない。M1の研究テーマが定まらなかったときの方がよっぽどストレスはあった。

それもこれも経済学で日本の博士号を取るのはあまり一般的じゃないからだ。いや実際、日本で博士号を取って一流の経済学者になっている方はたくさんいらっしゃるが、数で見ればやはり北米Econ Phdが一般的である。つまるところ、今年は日本の博士課程に進学したが近いうちに渡米する予定なので、必死こいて博士号取得のために研究していないということだ。

問題は渡米すると多くの場合、自身の専門分野が変わるということだ。やっぱり米国に行くと知らなかった分野・データ・手法に触れることが多く、また身分も学生ということから方針転換をすることが多い。流石に分野丸ごと変わることはないが、隣接分野に移行したりすることは往々にしてある(らしい)。

更に言えば北米Phdの1-2年目はまともに研究が出来ない。入ったらまずはお勉強の日々でまた修士課程のような日々が待っている。1-2年もすればさすがに研究の潮流も変わる。ようやくお勉強期間が終わった時点で1-2年前のテーマがそのまま研究として継続できるだろうか?まぁ無理でしょうね。

そんなもんだから日本の博士課程に入ってから新しい研究を始めるというのが難しい。研究は初めてから終わるまで数年かかる。ゆくゆく(1年以内)には渡米するのにこれから新しい研究を始めても、結局テーマが変わって途中で頓挫したり、興味を失ったりして中途半端になる可能性がある。これは結構人生無駄にしている感じがする。そんなことを考えていたり、渡米の準備をしていたりしたら1年が終わっていたということだ。

幸いなことに修士の頃に着手していた研究が5個くらいあったので全く何もしないということにはならなかった。いくつかの研究は実績となるような成果が出た(もしくは出る予定だ)し、まぁ悪くはないんだろうけど、creativeな日々ではない。新しいアイディアからテーマを見つけるという作業より、既に書いた論文の校正や投稿をし、そしてrejectされる日々である。ちょっとは前に進んでいるんだろうか。

 

学会で行った南アフリカ。とても良い街だった。

それからこの時期の心境的な変化としてモチベーションの維持に少し苦労したのを覚えている。修士課程の間は不定期な研究アルバイトでまとめて稼いで、それを食いつぶす日々だった。そのため、働かないことは食えないことに直結していたが、進学したことで定期収入が生まれ、有期ではあるもののその心配がなくなった。また、異常なまでの倹約思考なので普段お金を使いすぎるということもない。その結果、非常に幸いなことに金銭的な余裕が生まれ、日常生活する上で財布を気にすることが殆どなくなった。弁当を作ることはなくなり、忙しい時にコンビニ弁当を食べられるくらいにはなった。

そのため、今までは明日飯を食うために研究するというモチベーションであったが、それを変える必要が生じた。つまり、これは貯金を気にしながら研究しなくてよいというストレスの減少と同時に、若干のモチベーション低下が生じた。金銭的インセンティブで自分は研究していたが、それを改める必要が生じた。実際、このモチベーションの移行には数か月を要したが、結局自分の興味に正直になるというありきたりな心境に落ち着いた。

 

また変化と言えば、趣味に筋トレが追加された。普段会っている人は私がプロテインの話しかしないことをよく知っているだろうし、会っていない人は久しぶりの私が何だかデカくなっていることに気づいたらしい。久しぶりに会った友人は太ったと勘違いしていた。いや、筋肉で体重は増えているから太ってはいるのだが。

中高6年間帰宅部で運動とは無縁の生活をしていた私が突如筋トレに目覚めたのには、1つにはコロナのせいでずっと家にいたから運動するか~という月並みな理由があるのかもしれない。もう一つの理由はコロナ禍の最中にYoutubeでボディービルダーの動画を見まくっていたからというのがある。

気分が落ち込んだり自分自身を追い込めなくなったとき、極限状態にある人達の動画を見るという癖がある。こんなにキツイ人たちがいるのだから、自分の苦しみなんて大したことないのだと思うのである。大体は戦時中のドキュメンタリーとか自衛隊レンジャー部隊のインタビューなんかを見ていたのだけれど、ある日ふとボディービルダーの動画を見始めた。彼らがボディビルの大会に向け極限まで体脂肪を落とすような動画や、トレーニングで限界まで筋肉を追い込む様子をコロナの最中ずっと見ていたら、どうして自分がトレーニングしていないのか不思議に思えてきた。つまりは洗脳されたのだ。多分、最初期に見ていたのはBIG HIDEのOLYMPIA 2020だった気がする。


www.youtube.com

 

そんなこんなでジムに入会したのが今年の4月だった。地元で一番デカいジムに入会したところ、動画で見たようなマシンが実際にあって感動したのを覚えている。なんせ動画ばかり見て2年くらい経っていたから知識だけはあった。頭でっかちの筋トレ初心者で、しかも参考にしているのがプロボディービルダーだったので、調子に乗って限界まで追い込んでトレーニングしていたらトレーナーからよくそこまで追い込めますね、と言われたりした。週に2回毎回1時間前後トレーニングするだけだが、初心者ということもあり割とすぐに筋肉がつき始め、なんだか進捗が生まれている気がして楽しかった。

Twitterなんかでは筋トレは全てを解決するという雑な言説が見られるけれども、実際しないよりはしていた方が良いなというのが今のところの結論である。肉体的には疲れづらくなったことに加え、ニキビができづらくなるというのもメリットの一つだった。どうやら成長ホルモンが何か作用しているらしい。これは意外だった。

それから筋肉をつけるためには高たんぱくな食事にする必要があるので、普段の食事を意識するようになった。太りやすい体質なので今までも漠然と1日の摂取カロリーを計算することはしていたが、筋トレを始めてからはPFCバランスを考慮して食事をとるようになった。当然、酒量も減った。

けれども一番のメリットはむしろ精神的な面で、なんとかなるやろ、という謎の自信が生まれた。つまりはクヨクヨすることが無くなった。これは仕事の締切前とか結果が出ない日々とかに落ち込んで仕事が手につかないということが無くなることを意味した。

良いこともあれば悪いこともある。筋トレを始めたせいで単純に一日の可処分時間は減少した。ジムに行きトレーニングしシャワーに入って帰ってくる。これだけで2-3時間は使うので単純に仕事時間は減ることになった。加えて、今まで着ていた服が入らなくなってしまった。これは実質的な損失を生んでいて、新しいスーツを購入することを迫られた。4万円の損失である。とはいえトータルで見ればメリットの方が大きい。これは来年も続けられる趣味となるだろうと思った。

 

上半期はそこそこ仕事をしていたという感覚だったが、下半期は殆ど事務作業で終わってしまった。というのも前述の渡米準備や研究費の申請、学会の準備、データの整理など淡々とした日々が続いた。夏に北海道に行ったくらいで概ね東京で過ごすことになった。実際、10-12月は殆ど事務作業で終わってしまったので特筆することが無い。来年は色々と予定が詰まっているので嵐の前の静けさというやつらしい。

これくらいがワークライフバランスの取れた生活ということなのかもしれない。個人的にはワーク=ライフになっているのでバランスすることもないのだが、一般的にはこれくらいがちょうどいいのかもしれない。研究者としては働かなさすぎなので気合を入れ直したい。

エスコンフィールド

 

こうして振り返ってみると何もないと思っていた1年だがいろんなところに行っている。もちろんここに書ききれなかった分も含めれば、自分は思っていたより活動的なんだなぁと思った。うまくいけば来年からは遊牧民のような生活になるから、今のうちにやるべきことを済ませておきたい。とりあえず来年は奈良に行って個人的にハマっている仏像でも見て回ろうかなと思っている。そんなもんですかね。

 

 

また卒業したんだけど

2023.3.31

内省

学部を卒業して正体不明の怪文書をここに投稿してからもう2年が経ったらしい。時間の流れが早すぎると感じる。久しぶりに当時のブログを読み返して、なんでこんな読みづらい文章書いてるんだコイツは?という気持ちになった。頑張って言語化しようとしたらしいが、上手くいかない様を黒歴史として残しておくのは成長の記録として面白い。

 

先日、2年ぶりの卒業式というのがあった。というか厳密にはあったらしい。朝起きたら卒業式の開始時刻だったので、早々に参加はあきらめた。前日に学部時代の指導教員と飲んでいて随分と深酒をしたので、あーこりゃ卒業式は参加できないなと思っていた読みが当たった。正直、参加するつもりもなかった。卒業式の会場は遠いし、もう誰も知り合いはいない。

 

さて2年間の間に何があったのだろうか。まとめてもいいんじゃないの?少なくとも文章を書く能力は多少身についたんじゃないかしら、と思っている。

 

研究

だいたいこれ。

2年前を思い返したときに何が身についたのかと思うと1つは"見る目"がついた。これは色々な論文を読んでいたおかげかもしれないけど、良い研究と悪い研究というのは明確に存在する。そんで新しい論文を読んだ時に、あ~これは良い研究だなとか微妙だなぁとかいうの分かってきた。

というのは、経済学だとジャーナルに載せる前にworking paperという形で論文のpdfを一般公開することが多い。working paperを読んだ段階でこれは良い!と思ったものがその後トップジャーナルとかに載ったりすると、自分の審美眼は合っていたなと検証できる。

そういう経験を2年間の間にやっているうちに相場が分かってきて、何をしたらウケるのかとか、何が問題で解決した方が良いのかというのが分かってきた。

こういうのはおそらく業界の相場感なのでこれが身についたということである。

 

転換

時には思い切った方向転換も必要である。

方向転換ができないのは、経済学的に言うとサンクコストがクソデカな状況である。ここまで頑張ってきたのに、そこに投入した時間・お金を無駄にしたくないということである。方向転換したってうまくいくとは限らないしと思っちゃう。もっとも、現状のままでうまくいく保証もないのだが。

M1の秋に研究テーマを1からやり直すという決断をした。"決断”という大層なものではなかったが、それまで1年弱の分析結果がパーになった。どうもこのままでは先が見えないということでの方向転換だったがこれが正解だった。そのおかげか知らないが、今日まで変更したテーマの延長と拡張でいくつかの研究が出来ている。

もっと考えればそもそもB4からM1で研究室を変えている。これに関しては分野ごと全く違う研究室に移った。概ねうまくいったからよかったものの、一部の人からは後ろ指をさされていたらしい。だから何だという話だが。

(少なくとも現段階では)成功だったこれら方向転換の何が良かったのかと思ったときに、ノリで決めたからよかったんだなと思っている。割と本音である。

ここでは、直感的に良いと思ったときの行動をノリと言っている。

 

自分自身のことを自分が一番分かっていなかったりする。けど、ごくたまに「これが良い!」とか「なんか違う!」とかいった直感が降ってくることがある。これをいかに検知できるかどうかが大事なのかもしれない。自分の感情のわずかなサインを見逃さないようにしようということである。結果的に直感に従った方が楽である。

どういった意味で楽なのかは知らない。少なくとも心理的に楽になることは間違いない。もちろん金銭的には苦しくなるかもしれないけどそれを補完できるくらいに心理的な安寧は重要である。修士の間、まともで安定した収入源はなかったけど心理的にはとても楽だった。興味のあること調べていれば褒められるなんて幸せじゃない?それはまた別の話。

 

思考

つまりはどこまで考えるのかという問題に帰着する。

一方でノリだけで生きるのは単純な思考放棄だけど、もう一方で全ての行動・行為に原因と結果・因果関係を求めて行動するのは随分過激な気がする。そして恐らく俺はそんなに賢くない。

大体、起点はノリの方が良いと思う。何かを始めるにしてもノリで決めちゃって、後から考えるのでいい気がし始めている。ずっと考えていたらいつまでたっても同じ場所にいる気がしてきたから。

何を考えて何を考えないべきか、という建設的な思考放棄の方法について考え始めるようになった。その結果が、とりあえずノリで始めてみて後は考えてダメそうなら撤退戦略になった。

 

恐らくこうなった原因は、考えてもどうしようもない状況というのが人生を大きく左右するんだなということを少しずつ感じるようになったからかもしれない。

それはコロナかもしれないし、大学院というちょっと変わった環境のせいかもしれない。もしくは、親しい人の死かもしれないし、朝起きたら突如故障していたiPad Pro 12.9のせいかもしれない。昨日まで使えていたiPadは今日にはただの冷たい板になっていた。Apple storeに持ち込んだが、補償外とのことらしい。Appleの補償サービスはもう少し手厚いものであってほしい。

個人が考えて行動したことが、個人の結果にどれほど反映されているのか。恐らくそんなに大きな割合を占めないんじゃないかという気がする。一方で、思考をしないことは明らかに差を生む。自分自身の人生を真剣に考えて生きている人とそうでない人の話す言葉は全く違う。でも逆に言えばそれくらいの微妙な差なのである。考えることを過大評価して頭でっかちにならないようにしたいな、と思う。

 

興味

直感は興味に直結する。自分は何が好きで何が嫌いなのか。

話は戻る。一番初めに研究テーマを決めるとき、好きなことをやれと言われてさっぱり分からなかった。きわめて特殊な状況だけど研究テーマは(1)自分がやりたいこと (2)自分ができること (3)分野にとって価値のあること の交差するところで決まる。

(2)や(3)は割と分かりやすい。2)自分ができること、というのは例えばコードをどれくらい書けるとか、数式がどれくらい読めるか、といったことだし、(3)分野にとって価値のあること は論文読んでりゃだいたい相場感が身につく。実際、これは2年間でどうやら少し身についた。

結局、(1)自分がやりたいこと、に行きつくのである。

残念ながら、俺の代わりに研究してくれる俺はこの世に存在しないのだ。

だから考えるのは俺しかいない。

 

自分のやりたいことをどう見つけるのか。直感から生まれるノリで決めてしまえという話だった。じゃあノリを生むその直感はどこから生じるのか。おそらく、考えた結果なんだろうなというのが最近考えていたことである。これって卵が先か鶏が先かの話になってない?多分なってないよ。

 

規律

直感は体系化された思考なんだろうというのがこの記事のパンチラインである。

あれこれ考えて、考えても無駄かもしれないけど考えて、そもそも考えた方がいいのか分からないくらいごちゃごちゃになった状態がある日何かのきっかけで整理されたときに、それが直感となってポンと出てくるんだろうな、と思った。だからやっぱり思考する価値はある。そして、だからこそ戦略的な思考放棄というのを考える価値がある。

ある日やってくるその何かしらのきっかけは事前にはわからない。いつやってくるかもわからない。けど少なくともこの2年間で何度かあったことを考えれば、全くないわけじゃない。

 

それ考えてどうするの?という言葉が気に入っている。考えても無駄じゃない?と言っているわけではない。それはまた別の問題。

それ考えてどうするの?と言われて明確な答えが出せないのなら、それは自分の中で体系化されていないことになる。

それ考えてどうするの?と言われて明確な答えが出せるなら、それは自分のなかで十分体系化されているのだ。

それ以上考える必要はない。少なくとも今は。もちろんそれ以上考える価値はあるだろうけど。ただ、今何か行動を起こすなら、その時点で十分に体系化されたその結果に基づいて行動してみればよいのだ。問題が生じたらまたそこでウンと考えればよい。

 

だから常にそれ考えてどうするの?と自分自身に問いてみる。それが1つのバロメータになっている。そのうち直感となった体系化された答えが出てきたとき、それを絶対に逃してはいけない。それが自分の興味であって、信念であって、自分の好きなものになっているはずだからだ。

 

応答

2年前の記事は、自分自身が代替可能な気がしてけれどもそうではないと信じるための手段として思考を選択する、といった趣旨の記事だった。残念ながらまだまだ代替可能な人間ではあるし、それを受け入れ始めるくらいになってしまったと同時に、なってみろという自信もある。

何が変わったのか。2年経つと思考の使い方がもう少し具体的になった気がする。それは漠然とよくわからない自分自身を信じるための手段から、自分以外の興味の対象を探す手段へと変わったということだ。興味の対象は自分よりも外に向きつつある。

 

 

 

 

富士山頂に飛ばされた気分

先々週まで予定が立て込んで土日もずっと忙しかったのが、先週になって何の予定もなく暇になってしまった。

最初の数日は休養だと思って過ごしていたが、どうにも上手く調子が戻らず結局ほとんど布団の上で過ごすだけの日々に終始した。

ずっと横になっていたから何も進んでいないのかと思えば、週末のミーティング前に流石に思ったことを整理しておくかとノートにまとめた内容が思いの外良いアイディアだった。

それで結局その内容で議論したところずーっと悩んでいた問題が解決していることに気づいた。

 

それまで悩んでいたのは先行研究の手法をより一般化しようとしたときに、どうにも成立しないような反例が出てきてしまうことだった。

それで無理やり仮定を置いたり、条件を絞ったりしたもののなんだか美しくないので悩んでいた。どうしようもないから見通しをよくするために色々試行錯誤していたのが良かったらしい。

結局うまく行ったからよかったものの、なんだか布団の中にいるだけで研究が進んでしまうと今後どうやって進めていけば良いのか分からなくなる。

 

経済学の研究には2種類あって理論と実証に分けられる。前者は数式だけ(あってもシミュレーション)の世界で、後者は実世界のデータを使って研究をする。物理屋さんでも理論屋と実験屋で分かれていると聞いたことがある。似たようなものである。

それでお前はどっちをやっているのかというと両方やっている。軸足は実証なのだが、実証するために新しい理論も作ったりするというのが最近の流行りであり、私もその潮流に乗ったという形になる。

とはいえ理論それ自体が革新的だったりするとそれ一本で論文になったりするので、全編数式オンリーみたいな研究もしている。つまりはなんでもやっているのだ。

 

話は戻るが、実証研究の進め方というのは最近何となく勘どころが分かってきていた。

実世界のデータを使うのでひたすら泥臭いデータクリーニングをして、何らかの適した方法で平均やら分散やらを計算して(ここには回帰分析やら機械学習なんかも入る)、それを元に考察する。そして分かりやすいストーリーにして論文化する。

データ分析している際も自分が全体の進捗のどこら辺にいるのかが少しわかってきていた。例えばデータクリーニングしている最中はまだまだ研究の序盤だし、考察の余地が無くなってセミナー報告でのコメントもある程度想定の範囲内になればまぁそろそろ論文としてまとめるかぁというノリになる。

そして進捗というのが一気にでは無くジリジリと生まれるものだという感覚があった。より正確には小さな段差を少しずつ登る感覚だった。

 

一方で先週までやっていたのはゴリゴリ理論の研究であって、これは正直自分がどこにいるのか分からなかった。

いや、実際には解くべき問題は分かっていたのだがその解決策が見当たらず、しかも解けたとしてもそれで本当に証明になっているのか自信が無かった。

数学の証明なんかだとゴールは分かっているのが普通なので、まず頭から解いてみてダメだったらお尻(つまり示したいゴール)から逆算するみたいなことをする。そうするとどこかで繋がらないところが出てきて、結局そこを解決すれば良いことになる。

 

それっぽい解決策が出たが、解けているのかまたよくわからない反例が生じないかが分からなかった。そしてどうやらこれで問題がないとなったとき、一気に解決を迎えた。進捗がドッとやってきたのだ。富士山の頂上にエレベーターでいきなり連れて来られたような感覚だった。これでいいんですか?

 

この感覚は今まで実証メインでやってきた時には無かったもので、布団の中にいるだけでいきなり上手くいくようなことが無かった今までからすると非常に奇異な感覚だった。

これでええんか???となった。大抵こういう時にはミスがある。どうやらそうでもないらしい。尚更研究の進め方が分からなくなった。

 

残念なことに側から見ればニートや引きこもりとなんら変わりないが、研究結果だけで正当化される身分である。事後的な成果だけが引きこもりと研究者の区別をするのだから、せめて進捗がどの程度かうまく把握しておきたいものだ。

2021年のごった煮

ありきたりな言葉ではあるが気づけばもう年末であるので2021年の振り返りをしたい。

こういう時に何が起こったかを確認するためにも写真は便利である。

最近写真撮ってないですけどね。

 

1. 無機的なこと

1月から3月はまだ学部生だった。

昨今の流行病と1年の"戦略的"留年により実質消化試合的な様相を呈していたが、それでも卒論を仕上げる必要があったので専念した。この卒論は小規模だが国内学会で発表し学内でも知らぬ間にある程度の評価を頂いていた。

自宅のパソコンで1日中シミュレーションを回しては結果を確認する作業は非常に地味である一方、誰も知らない魔物を作り出しているようで楽しかったことを覚えている。また、30ページ弱を英語で書くのが予想外にハードであったためGrammerlyとOverleafの連携技を覚えるきっかけにもなった。

 

また同時期に学外の大学院への辞退書も書いた。これは非常に悩ましく、高校生の頃に第一志望とし世間的にも圧倒的に評価の高い大学の大学院に合格したにもかかわらず、辞退するというのはおよそ正気の沙汰ではなかった。損得勘定のみで考えれば、そしてそういった学問を専攻している身からすれば、非常に心苦しくあったが辞退するに至った。そうした個別の理由は様々だが、しかし生存戦略としてはおおよそ機能したと現時点では評価している。10年後に大きく後悔していることの無いようにしたい。

ともかく大学学部を5年もかけて卒業し大学院に進んだ。

 

経済学研究科は同学年が26名しかいない魔境である。しかもそのうち昨今の流行病で入国できない留学生・籍だけを残して就職活動する者などを除けば実質的な同期は数名である。各自のバックグラウンドが大きく異なるため人間関係がうまくいくのか不安であったが、非常に助かったのは所属する研究室が比較的大所帯であり、またモデルとなる優秀な先輩方が多く所属していたことであった。

経済学大学院の1年目はどの大学院も同様にお勉強(コアコース)に費やす。この授業で好成績を残すことが必要とされるが、春休みに予習していたことや、1年の"戦略的"留年、その他先輩方からのノウハウなどにより、想定していたより比較的負担が少なく乗り越えることができた。加えて、密になることを避けるため対面試験から宿題+take home examに切り替わったのも不幸中の幸いであった。試験一発は苦手なので日ごろの積み重ねが反映される評価に切り替わったことに助けられた。

f:id:HaruoEd:20211225032612j:plain

悪魔の経典

 

このことは予見できていたので、空いた時間を使い夏休みまでは企業で研究員?研究補助?として働いていた。昼間は授業を受け、授業が終わると夜まで研究をし、深夜の間に共著者のチェックが入り、朝にそれを確認しつつ授業を受けるという生活は非常にハードであり、自身が睡眠時間を削ってまで働けるような人間ではないことを痛感した。また、同時に”良い"生き方についても考えさせられた。特に6月あたりは精神的に相当参っていた。ただお金はしこたま貯まった。

この研究は後に国内の学会で発表し査読付き国際学会に通した。

 

夏休みに入ると世間はオリンピック一色だったが、一方で修論のネタに困っていた。企業でデータはもらえたが十分なネタにはなりそうもなかったし、やろうと思っていた研究はデータの制約でうまくいきそうになかった。どうにかこうにか集めたデータでやろうとしたところで、海外のworking paperで同様の研究が発表されてしまいこれはボツかなという雰囲気が漂った。

後述する心境的な変化もあり、また良い研究をするためにもテーマの大転換を図った。暗中模索で研究テーマを探すのは効率が悪いので、自分が何に興味を持っているのかを再考する必要に駆られた。周囲の人間に面白い業界事情を聞いてみたり、日経新聞を読み漁り世情を追ってみたが、最終的なネタの元となったのは家族との夕食中の会話であった。振り返ってみれば夏休みの大半はこのテーマ探しに費やされ、しかしその夕食の会話で殆どネタが出来てしまったので、夏休みは総じてみればあまり生産的ではなかったのかもしれない。

それから夏休みには、企業の夏季インターンにも参加した。夏季インターンには学部3年生の頃にも参加していたが、再度自身の同世代内での立ち位置の確認と、企業の様子を伺うということで参加した。そこそこの評価をされたが物足りなさと微妙な職場の雰囲気を察し早々に退出した。職場の人間関係が外部のインターン生に察されてしまうような職場はあまり良くないのではと思ってしまった。生意気ではあるが。

 

夏休みは非常に長く10月から授業が再開した。残念なことであるが、夏休み後の授業は比較的退屈であまり興味の持てるものではなかった。加えて、企業での研究はひと段落していた。夏休みで弛んでいたのかもしれないが、正直気力が不足していたと思う。ここで少し海外大学のRAをするなどしたが、あまり気力は回復しなかった。

新たに設定した自身の研究はデータの入手に大きく依存していたので、それを保有する企業を説得する必要があった。入手できる行政データを頼りに予備的な分析を行いつつ先行研究をまとめ、教授陣に持ち込み宣伝し、さらに企業に営業をかけるということを続けていた。この様だけ見れば駆け出し起業家のようであるが、実際かなり近いのかもしれない。最終的にことは割とうまく進んだ。偉いおじさんを味方につけるのは生存戦略として大事である。

研究1年生の成績は査読付国内・国際学会発表2,賞罰1,査読論文1ということであまり振るわなかった。

 

趣味が無いのは良くないということで1年を通じてFPSに相当な時間を費やした。様々ゲームに手を出したが、APEXとValorantが主であった。小学生のころにハマっていたメイプルストーリー以来ゲームはやっていなかったがこれが思いのほか沼であった。

ハマった要因の1つはPvP(Player versus player)だったことだと思う。APEXであれば画面の向こう側に同時にプレイしている59人の人がおり、その中で1位を争うという形式が競争心を明らかに掻き立てた。2つ目に周囲にそれらゲームをプレイする友人がいたことだった。Discordでは社会人のはずなのに昼間からプレイしている者や深夜から初めて朝までプレイする者がおり、これには相当生活リズムを破壊された。楽しかったことは間違いない。それから台パンは険悪になるのでやらない方がいい。 

結局、APEXはプラチナ3、Valorantはシルバー2が最高だった。継続しかつ多くの時間を投資しないと上達しないため、恐らく受験勉強よりも修業的要素が強かった。費用対効果は最悪である。遊びにリターンを求めるもんじゃない。

f:id:HaruoEd:20211225031719p:plain

プラ4の沼は深い

 

2. 有機的なこと

年を重ねるごとに人間関係に恵まれていると実感する。短気で暴力的で金遣いが荒く酒と博打に明け暮れるような家族ではないし、友人はこの奇特な性格を理解しているかは別にしても大きく否定はしない。知らぬ間に他人を傷つけているような人間ではあるが、それでも友人が0にならないのは奇跡である。もっとマトモになりたいと思うのだがどうもうまくいかない。その結果の正拳突きである。

f:id:HaruoEd:20211225031522j:plain

ネテロ推し。

 

研究していると自身の興味の追求に至る一方で、その社会的な影響・含意を考慮する必要がある。特に私の選考する分野は最終的なゴールがpolicy implication(政策的含意)であることも多く、「その研究何の役に立つの?」というのがご法度な分野とは異なり、むしろ社会のために役立つのかを常に考えている。そうすると俄然どこかで社会の役に立つような研究をしたいという気になる。好奇心と政策的含意のバランスの上で研究をしている気がする。

 

随分前から薄々勘づいておりそして今となってはもはや前述のとおり自明なことではあるが、自分は愚にもつかない人間である。そういった人間が能力的にも環境的にも研究して良いし尚且つそれが社会のためになるようなものであれ、という制約を与えられたとき、没頭するほかはない。家族や友人らからも研究を奨励され、研究の話をすれば興味を持って聞いてもらえ、しかもそれ自体自身の興味から発するものならなおさらである。

実際、研究している自身の様を支援されることは、自分自身に向けられる好意よりもはるかに嬉しい。

 

これは研究テーマの変更にも大きく関与した。学内学外の研究者に多く接するにつれて彼らに共通するのは、ある対象への常軌を逸した好奇心も含む、一種の精神論的な熱意と情熱であった。実際、ごく一部の能力的に突出した者たちを除けば、研究の大部分を担っているのはこういった情熱を持った人たちなのだと思った。研究する時点である程度の能力があることは当たり前なのだから、その中で差別化されるのは精神的な部分に依るのだろう。これが一部の過度な労働をもたらすのだが。

 

しかしこれに相当参ったのである。特に悩んだのは自らがそういった情熱を心底注ぎこめるものは何かということを再考する必要があったからだ。少なくともそれが夏休みの時点である。

経済学のモデルや考え方への興味と熱意、またそれを扱う能力についてはある程度自分の中で客観的な合意があった。けれども、特に熱意を持って取り組めるものは何か。具体的にコレといえるものが見当たらなかった。

正しいか分からないけれども正しいと信じるだけの勇気があるだろうか、というのが悩みだった。なぜなら、一度信じてしまえば裏切られても分からないからである。

 

くさいセリフだが結局我々は人間の世の中に生きているのである。これからどうにか逃げられないかと思ったことは数えきれないが、どうしても逃れようがない。やはり仙人になることは難しい。人を傷つけるのも人間だが救ってくれるのも人間である。冒頭に戻るがこういったときに自分を客観的に評価し、たまに指針を与えてくれる友人・知人に恵まれていた。

結局私の興味は、人の生き死にだったり、病苦だったり、精神苦や自殺だったり、そういった一見後ろ向きなところにあった。そしてそれをどうにかできないかという一種のパターナリスティックな介入だった。全くもっておせっかいである。

 

確かに、恥ずかしながら振りかえってみれば医師になろうとしたものの学力や体力が足りず、それでは動物をと獣医師になろうとしたが猫アレルギーでとん挫した。薬剤師もいいかと思ったが、6年通って調剤薬局にずっと勤めるのは向いていないかな~と思いつつ、弁護士や公認会計士のような士業には興味が持てなかった。最近亡くなってしまったが、中村哲氏を知り感銘を受け、けれど遅すぎてやはり医師への進路変更は不可能だった。

 

今研究していることもそうだが、そういった生き死や病苦や自殺などは確かにセンシティブな問題であるが、しかし医師や薬の配分の最適性を議論すればもう少しマシになるのかもしれない。新薬創生への最適な補助金や特許政策はどうだろうか。どうして経済苦で人は死ぬのか。今回のコロナはどうなのか。案外、研究でどうにかなる話だった。

経済学の定義は難しいが、最適資源配分と選択の意思決定の学問だと思う。ネガティブなことに目を背けがちだが、残念なことにいずれ自分の問題となることであり、社会的にももう少しマシにはならんものかね、ということで熱意をもって取り組めると思った。

そしてなにより、後ろ向きなことに前向きに取り組むというのは、捻くれた自身に最も合っていると思った。

 

3. その他(12/16)

人は忘れられた時に死ぬというのは某アニメのセリフだが、忘れたときもまたそうなのかもしれない。

先日、祖父が入院している病院に行った。認知症ということで日常生活がままならないということらしい。残念なことに多くの人間関係を忘れてしまい、孫である私がまだ認識できるうちに会いに来いとのことで急いで帰省した。

病院は山の上にあるいわゆるサナトリウムのような場所であり、市街部から随分と距離のある所であった。件の感染症で数年ぶりに見た祖父は別人のようであった。車いすに腰掛け何を言っているのか分からない様に以前の健脚な祖父の面影はなかった。

他の精神病患者も多く入院していること、感染拡大を防ぐこと、祖父の身体的負担、などを理由に面会は30分程度隔離された部屋でのみ許された。話したことは祖父の大学時代の話や死んだ兄弟の話などが多く、どうやら昔話や兄弟の話をするのは認知症患者の傾向らしい。

 

会話もそこそこに写真を撮り、帰ろうかと握手したとき、果たして祖父はおもむろに私のことを認識した。握手は以前から祖父と別れるときに必ず行っていた。どういう仕組みか分からない。しかし祖父の言った言葉は確かにそれが偶然ではないことを理解させた。「しっかりやれよ」というのは毎度私との握手のたびに言う台詞だったからだ。

こういった逸話的な事柄にはめっぽう弱い。

もう一人の祖父は私が留学中に他界した。大学入学時にやはり先が長くないということで会いに行った際、私の大学合格を聞き「たいしたもんだ」といったのち、卵アレルギーなのに持参したプリンを完食していたことをよく覚えている。(それで容体が悪化したのかどうかは知らない)

 

優しさは渡せないのに貰えるという。渡した本人も気づいていない。

望みは望まない事 僕が知らないうちに 君のためになれる事

来年はもうすこし「しっかり」やりつつ優しい人間になりたい。

 

www.youtube.com

(新聞の社説みたいな文体だな)

 

コーヒーと疲労に関する雑な分析

1.

期末試験がほとんど存在しなかったことに加えて、オンライン授業が多かったことから、前期の授業のほとんどが7月頭の時点で終了していた。そのため、7月から実質的な夏休みが始まった。

授業期間中は宿題やら予習やらでやることが決まっていて、否が応でもある程度整った生活リズムで行動できるが、夏休みはそうはいかない。たいていの場合、昼夜逆転し一日を無為に過ごしてしまった結果、その罪悪感だけが残って9月を迎えるというのが常である。そういうことは大方予想ができたし、貴重な3か月の夏休みを今年ことは意味のあるものにしたいという浅薄な意思の下、いわゆるルーティーンを作ろうとした。

 

大学には院生が使える部屋があって、そこに1人1つの椅子と机が与えられている。昨今の状況もあって、大学に来る人は少なく、加えて文系の大学院生というのは必ずしも大学に来る必要がないことから、院生部屋の使用率は見たところ5%以下という過疎の様相を呈していた。

元来、人とはなるべく会いたくない性としかし自宅にいては怠けてしまうという性質が夏休みルーティーン作成のインセンティブと合わさった結果、毎日健康院生部屋通い生活を敢行するに至った。

 

2.

何をするかといえば基本的に論文や教科書を読んで実装するくらいなので、ほとんど体を動かすこともない。1日中椅子に座っているだけなので、気分転換と集中力のためにコーヒーを常飲することにした。

非常にキツイ予算制約の下で効用を最大化する何種類かのコーヒーブランドを試してみたところ、ひとまずファミリーマートのアイスコーヒーが局所最適解として得られた。おそらく鞍点であるが、駅と大学の間で購入できるという点からも最適と思われた。

以前はコーヒーを飲むと謎の体調不良に陥っていたため、コーヒーが体質的に合わないのではないかという先入観があった。実際、コーヒーを飲んだ日は非常に集中できるのだが次の日の寝起きが良くないような気がしていた。

コーヒーを継続的に飲み続けているうちにその傾向は強まり、何日かすると体がだるく大学に行くのも億劫になってしまうほどだった。しかしそれでも、コーヒーを飲むことによる集中力は他の例えばエナジードリンクなどでは得られないものだったし、そもそもアイスコーヒーの味が好きであることから、止めるのは惜しいなとも思っていた。

そしてしばらくたってから、やはりこのジレンマを解消するべきだろうと思い始めるようになった。

 

3.

すなわち解くべき問題は、なぜコーヒーを継続的に飲むと疲労感が蓄積するのかということだった。

一週間のうち月曜日から大学に通い、院生部屋が閉室となる日曜日を除いて大学に行き院生部屋でコーヒーを飲む。継続的に飲んでいると木曜日くらいで疲労感がピークに達して金曜日には倦怠感で動けなくなる。コーヒーを飲むまではこういった傾向はなかったからおそらく原因はそこにあるだろうが、この因果関係をどう識別するのかが問題となった。

というのも、当然のように毎日大学に通っていれば日に日に疲れは蓄積していくし、多くの学生や社会人が経験するように、コーヒーの摂取に関係なく金曜日には一週間分の疲れがたまっているものである。加えて昨今の状況からも外出する機会は大きく減少し、そもそも出不精であることも相まって運動不足による体力低下は私の中の関心事となっていた。

そのため、金曜日の倦怠感は単なる1週間分の疲労蓄積とコーヒーによる効果の和であることが予想された。さてこのいわゆる分離識別の問題をどう解くべきか。

 

4.

七面倒くさくそして婉曲的に書いてきたが、解決策は簡単である。自分の体を使っていろいろ試してみればいいのである。コーヒーを飲んだ週と飲まなかった週ごとに疲労度合いを計測して、その差がどんなもんかを調べれば済む話である。残念ながらサンプルは私しかいないので、普段やるようなp値を出すような分析はできない。それでもなんらかの比較をしてみることにした。

週ごとの疲労度合いはその一週間のパフォーマンスに影響を与える。幸いなことに院生部屋にいる間はずっとiPadを開いているから、iPadに記録されているスクリーンタイムを用いればどれだけ研究していたかがわかる。これを一週間のパフォーマンスの指標として週ごとの疲労度合いの影響を計測しようというわけである。

そこで1週目にこれまで通りコーヒーを飲む生活を送り、2週目にコーヒーではなく(だいたい)同じ量の水を飲む生活を送る。その2週間でスクリーンタイムを比較する。仮に2週目にコーヒーによる影響が蓄積していたとしても2週間の差があれば、水だけの生活による真の影響の差はもっと大きいことが想定される。

ともかくこれで様子を見てみるとどうやら水のみの生活の方が体調が良いようだった。

コーヒーはやめた方がいいのかもしれないと思った。

 

5.

次に興味があるのは、なぜ水ではなくコーヒーだと疲労度合いが増すのかということだった。これが分かれば、コーヒーを飲んでいられるかもしれない。

これにもいくつか仮説があってカフェインが体質的に良くないのではないかとか脂質が問題なのではないかなど色々あった。その中で、最も有力と思われたのは脱水だった。同じ量の水とコーヒーを摂取しているだが、コーヒーを飲んだ時の方がトイレに行く頻度が高かった。実際、コーヒーには利尿作用があるからこれはもっともらしいと思われたし、小学校の頃の野球部の経験から脱水症状と疲労というのは関係することを経験的に知っていた。

そこで3週目と4週目にかけて今度はコーヒーだけ飲む週とコーヒー+水を飲む週を用意した。これで同様にスクリーンタイムを計測してみて、その差がどんなもんかを見てみた。すると水を一緒に飲んだ週の方がパフォーマンスは良いようだった。

本当かどうか怪しかったので、つい先週の5週目でコーヒーに合わせてスポーツ飲料を飲むことにしたがやはりその傾向は同じで、金曜日に感じるような疲労感は姿を消した。

なるほど、コーヒーによる疲労の原因は脱水による説があるのか、ということが分かった。そして解決策として一緒に水分を摂取すればコーヒーを飲んでいいらしい。

 

6.

それでも懐疑主義的な人はコーヒーの脱水の影響がどの程度なのかということに興味があるかもしれない。2週間しか実験していないのでその結果も怪しいものである。

そこでついに今週となった6週目に今度は2日間コーヒーとアクエリアスを飲んで3日目(水曜日)から水とコーヒーを飲む生活をしようとしてみた。もし脱水という仮説が正しいなら、おそらくコーヒーだけの週よりはパフォーマンスが良いが、コーヒー+水だけの週よりはパフォーマンスが悪くなるはずである。

 

 

 

 

7.

果たしてその仮説は実証されなかった。

 

本日、木曜日における体調は史上最悪のものであり倦怠感で家から出られなくなってしまった。なにもしたくない。すべてが面倒になってしまった。実験は中止である。

 

しかしそれでも、何かしておきたいなという気持ちから個人的な実験であったこの結果をブログに残しておくことにした。

 

あまり自分の体を使って遊ぶのも良くないと思った。

 

 

8.(追記)

書いていて思ったが、おそらく自分の体を使って実験する場合の問題点は実験の計画者と被験者が同じであるため、無意識下で望む結果を実現している可能性があるなと思った。その意味でも雑な分析である。やらないよりはマシだがやらなくてもよかった分析の筆頭である。

 

www.youtube.com