ついに迷走を始めました

ブログ書くんだってよ 

富士山頂に飛ばされた気分

先々週まで予定が立て込んで土日もずっと忙しかったのが、先週になって何の予定もなく暇になってしまった。

最初の数日は休養だと思って過ごしていたが、どうにも上手く調子が戻らず結局ほとんど布団の上で過ごすだけの日々に終始した。

ずっと横になっていたから何も進んでいないのかと思えば、週末のミーティング前に流石に思ったことを整理しておくかとノートにまとめた内容が思いの外良いアイディアだった。

それで結局その内容で議論したところずーっと悩んでいた問題が解決していることに気づいた。

 

それまで悩んでいたのは先行研究の手法をより一般化しようとしたときに、どうにも成立しないような反例が出てきてしまうことだった。

それで無理やり仮定を置いたり、条件を絞ったりしたもののなんだか美しくないので悩んでいた。どうしようもないから見通しをよくするために色々試行錯誤していたのが良かったらしい。

結局うまく行ったからよかったものの、なんだか布団の中にいるだけで研究が進んでしまうと今後どうやって進めていけば良いのか分からなくなる。

 

経済学の研究には2種類あって理論と実証に分けられる。前者は数式だけ(あってもシミュレーション)の世界で、後者は実世界のデータを使って研究をする。物理屋さんでも理論屋と実験屋で分かれていると聞いたことがある。似たようなものである。

それでお前はどっちをやっているのかというと両方やっている。軸足は実証なのだが、実証するために新しい理論も作ったりするというのが最近の流行りであり、私もその潮流に乗ったという形になる。

とはいえ理論それ自体が革新的だったりするとそれ一本で論文になったりするので、全編数式オンリーみたいな研究もしている。つまりはなんでもやっているのだ。

 

話は戻るが、実証研究の進め方というのは最近何となく勘どころが分かってきていた。

実世界のデータを使うのでひたすら泥臭いデータクリーニングをして、何らかの適した方法で平均やら分散やらを計算して(ここには回帰分析やら機械学習なんかも入る)、それを元に考察する。そして分かりやすいストーリーにして論文化する。

データ分析している際も自分が全体の進捗のどこら辺にいるのかが少しわかってきていた。例えばデータクリーニングしている最中はまだまだ研究の序盤だし、考察の余地が無くなってセミナー報告でのコメントもある程度想定の範囲内になればまぁそろそろ論文としてまとめるかぁというノリになる。

そして進捗というのが一気にでは無くジリジリと生まれるものだという感覚があった。より正確には小さな段差を少しずつ登る感覚だった。

 

一方で先週までやっていたのはゴリゴリ理論の研究であって、これは正直自分がどこにいるのか分からなかった。

いや、実際には解くべき問題は分かっていたのだがその解決策が見当たらず、しかも解けたとしてもそれで本当に証明になっているのか自信が無かった。

数学の証明なんかだとゴールは分かっているのが普通なので、まず頭から解いてみてダメだったらお尻(つまり示したいゴール)から逆算するみたいなことをする。そうするとどこかで繋がらないところが出てきて、結局そこを解決すれば良いことになる。

 

それっぽい解決策が出たが、解けているのかまたよくわからない反例が生じないかが分からなかった。そしてどうやらこれで問題がないとなったとき、一気に解決を迎えた。進捗がドッとやってきたのだ。富士山の頂上にエレベーターでいきなり連れて来られたような感覚だった。これでいいんですか?

 

この感覚は今まで実証メインでやってきた時には無かったもので、布団の中にいるだけでいきなり上手くいくようなことが無かった今までからすると非常に奇異な感覚だった。

これでええんか???となった。大抵こういう時にはミスがある。どうやらそうでもないらしい。尚更研究の進め方が分からなくなった。

 

残念なことに側から見ればニートや引きこもりとなんら変わりないが、研究結果だけで正当化される身分である。事後的な成果だけが引きこもりと研究者の区別をするのだから、せめて進捗がどの程度かうまく把握しておきたいものだ。