ついに迷走を始めました

ブログ書くんだってよ 

2023年も終わるらしい

2023年がもうそろそろ終わるので清算しようかと思い久しぶりにブログを開いてみた。基本的に誰も読んでいないので独り言の羅列、推敲とは無縁の記事だけれど、さすがに何かネタが無いと何も書けない。

今年は文章を書く機会がこれまでに以上に増えたが、そのほとんどは英語だったので日本語で長い文章を書くというのは随分と久しぶりになる。おかげさまで英語でのwritingというのは随分と上達した(らしい)けれども、その分日本語の文章がヘタクソになっている気がする。このブログがそのリハビリになるとは思えないけど。

何かネタがあったかなぁと思い返してみるものの、特に目立ったことの無い1年だった。原因はなぜかと考えてみると、キャリア的にちょうどgap yearだったからだと思う。悲しくも仕事人間になってしまったため、その年がどういう1年だったかというのは仕事の内容で殆ど説明できてしまうのだ。

 

1月に訪れた牛久大仏。デカい。

1月から3月までは修論を仕上げていた。実際、殆ど12月中に完成していたから余裕をもって提出した。大阪と徳島で研究集会があったのでこの研究を報告をした。

徳島では少し感慨深い経験もした。徳島はラーメンが名物なのだが、個人的に思い入れのある中華そばいのたにに行けた。というのも、はるか昔、リアル友達0人の日々に現実世界の全てから逃避するためMMOの世界に潜っていたころ、徳島出身のプレイヤーのブログをよく読んでいた。その彼が徳島でオフ会をしたという記事(http://ninehalt.blog4.fc2.com/blog-entry-547.html)に出てきたのがこのいのたにというラーメン屋だった。はるか昔、2007年の記事ではあるが我ながらよく覚えていたなぁと思った。お店もまだ営業中で16年越しの願いを叶えたのであった。

徳島ラーメンの名店。

 

4月からは残念ながらカタギの道から外れ、御D進したわけだが、正直命を削るような毎日を過ごしていない。博士課程というのは地獄の道、貧困と過剰な労働により精神がすり減ると聞いていたがそうでもない。M1の研究テーマが定まらなかったときの方がよっぽどストレスはあった。

それもこれも経済学で日本の博士号を取るのはあまり一般的じゃないからだ。いや実際、日本で博士号を取って一流の経済学者になっている方はたくさんいらっしゃるが、数で見ればやはり北米Econ Phdが一般的である。つまるところ、今年は日本の博士課程に進学したが近いうちに渡米する予定なので、必死こいて博士号取得のために研究していないということだ。

問題は渡米すると多くの場合、自身の専門分野が変わるということだ。やっぱり米国に行くと知らなかった分野・データ・手法に触れることが多く、また身分も学生ということから方針転換をすることが多い。流石に分野丸ごと変わることはないが、隣接分野に移行したりすることは往々にしてある(らしい)。

更に言えば北米Phdの1-2年目はまともに研究が出来ない。入ったらまずはお勉強の日々でまた修士課程のような日々が待っている。1-2年もすればさすがに研究の潮流も変わる。ようやくお勉強期間が終わった時点で1-2年前のテーマがそのまま研究として継続できるだろうか?まぁ無理でしょうね。

そんなもんだから日本の博士課程に入ってから新しい研究を始めるというのが難しい。研究は初めてから終わるまで数年かかる。ゆくゆく(1年以内)には渡米するのにこれから新しい研究を始めても、結局テーマが変わって途中で頓挫したり、興味を失ったりして中途半端になる可能性がある。これは結構人生無駄にしている感じがする。そんなことを考えていたり、渡米の準備をしていたりしたら1年が終わっていたということだ。

幸いなことに修士の頃に着手していた研究が5個くらいあったので全く何もしないということにはならなかった。いくつかの研究は実績となるような成果が出た(もしくは出る予定だ)し、まぁ悪くはないんだろうけど、creativeな日々ではない。新しいアイディアからテーマを見つけるという作業より、既に書いた論文の校正や投稿をし、そしてrejectされる日々である。ちょっとは前に進んでいるんだろうか。

 

学会で行った南アフリカ。とても良い街だった。

それからこの時期の心境的な変化としてモチベーションの維持に少し苦労したのを覚えている。修士課程の間は不定期な研究アルバイトでまとめて稼いで、それを食いつぶす日々だった。そのため、働かないことは食えないことに直結していたが、進学したことで定期収入が生まれ、有期ではあるもののその心配がなくなった。また、異常なまでの倹約思考なので普段お金を使いすぎるということもない。その結果、非常に幸いなことに金銭的な余裕が生まれ、日常生活する上で財布を気にすることが殆どなくなった。弁当を作ることはなくなり、忙しい時にコンビニ弁当を食べられるくらいにはなった。

そのため、今までは明日飯を食うために研究するというモチベーションであったが、それを変える必要が生じた。つまり、これは貯金を気にしながら研究しなくてよいというストレスの減少と同時に、若干のモチベーション低下が生じた。金銭的インセンティブで自分は研究していたが、それを改める必要が生じた。実際、このモチベーションの移行には数か月を要したが、結局自分の興味に正直になるというありきたりな心境に落ち着いた。

 

また変化と言えば、趣味に筋トレが追加された。普段会っている人は私がプロテインの話しかしないことをよく知っているだろうし、会っていない人は久しぶりの私が何だかデカくなっていることに気づいたらしい。久しぶりに会った友人は太ったと勘違いしていた。いや、筋肉で体重は増えているから太ってはいるのだが。

中高6年間帰宅部で運動とは無縁の生活をしていた私が突如筋トレに目覚めたのには、1つにはコロナのせいでずっと家にいたから運動するか~という月並みな理由があるのかもしれない。もう一つの理由はコロナ禍の最中にYoutubeでボディービルダーの動画を見まくっていたからというのがある。

気分が落ち込んだり自分自身を追い込めなくなったとき、極限状態にある人達の動画を見るという癖がある。こんなにキツイ人たちがいるのだから、自分の苦しみなんて大したことないのだと思うのである。大体は戦時中のドキュメンタリーとか自衛隊レンジャー部隊のインタビューなんかを見ていたのだけれど、ある日ふとボディービルダーの動画を見始めた。彼らがボディビルの大会に向け極限まで体脂肪を落とすような動画や、トレーニングで限界まで筋肉を追い込む様子をコロナの最中ずっと見ていたら、どうして自分がトレーニングしていないのか不思議に思えてきた。つまりは洗脳されたのだ。多分、最初期に見ていたのはBIG HIDEのOLYMPIA 2020だった気がする。


www.youtube.com

 

そんなこんなでジムに入会したのが今年の4月だった。地元で一番デカいジムに入会したところ、動画で見たようなマシンが実際にあって感動したのを覚えている。なんせ動画ばかり見て2年くらい経っていたから知識だけはあった。頭でっかちの筋トレ初心者で、しかも参考にしているのがプロボディービルダーだったので、調子に乗って限界まで追い込んでトレーニングしていたらトレーナーからよくそこまで追い込めますね、と言われたりした。週に2回毎回1時間前後トレーニングするだけだが、初心者ということもあり割とすぐに筋肉がつき始め、なんだか進捗が生まれている気がして楽しかった。

Twitterなんかでは筋トレは全てを解決するという雑な言説が見られるけれども、実際しないよりはしていた方が良いなというのが今のところの結論である。肉体的には疲れづらくなったことに加え、ニキビができづらくなるというのもメリットの一つだった。どうやら成長ホルモンが何か作用しているらしい。これは意外だった。

それから筋肉をつけるためには高たんぱくな食事にする必要があるので、普段の食事を意識するようになった。太りやすい体質なので今までも漠然と1日の摂取カロリーを計算することはしていたが、筋トレを始めてからはPFCバランスを考慮して食事をとるようになった。当然、酒量も減った。

けれども一番のメリットはむしろ精神的な面で、なんとかなるやろ、という謎の自信が生まれた。つまりはクヨクヨすることが無くなった。これは仕事の締切前とか結果が出ない日々とかに落ち込んで仕事が手につかないということが無くなることを意味した。

良いこともあれば悪いこともある。筋トレを始めたせいで単純に一日の可処分時間は減少した。ジムに行きトレーニングしシャワーに入って帰ってくる。これだけで2-3時間は使うので単純に仕事時間は減ることになった。加えて、今まで着ていた服が入らなくなってしまった。これは実質的な損失を生んでいて、新しいスーツを購入することを迫られた。4万円の損失である。とはいえトータルで見ればメリットの方が大きい。これは来年も続けられる趣味となるだろうと思った。

 

上半期はそこそこ仕事をしていたという感覚だったが、下半期は殆ど事務作業で終わってしまった。というのも前述の渡米準備や研究費の申請、学会の準備、データの整理など淡々とした日々が続いた。夏に北海道に行ったくらいで概ね東京で過ごすことになった。実際、10-12月は殆ど事務作業で終わってしまったので特筆することが無い。来年は色々と予定が詰まっているので嵐の前の静けさというやつらしい。

これくらいがワークライフバランスの取れた生活ということなのかもしれない。個人的にはワーク=ライフになっているのでバランスすることもないのだが、一般的にはこれくらいがちょうどいいのかもしれない。研究者としては働かなさすぎなので気合を入れ直したい。

エスコンフィールド

 

こうして振り返ってみると何もないと思っていた1年だがいろんなところに行っている。もちろんここに書ききれなかった分も含めれば、自分は思っていたより活動的なんだなぁと思った。うまくいけば来年からは遊牧民のような生活になるから、今のうちにやるべきことを済ませておきたい。とりあえず来年は奈良に行って個人的にハマっている仏像でも見て回ろうかなと思っている。そんなもんですかね。