眼鏡が壊れた。
厳密には、知らぬ間にフレームを曲げてしまい眼鏡をかけるとずり落ちるようになってしまった。恐らく何かの衝撃で曲げてしまったのだろう。
2年ぶりの眼鏡クライシスである。
因みに前回のクライシスはイギリスで発生した。おのれJ〇NS。
前回とは異なり、今は日本にいる身なので作ってもらった眼鏡屋に行くだけである。
そこで「メガネのフレームを曲げてしまったので修理していただけますか?」と言えば、相当の重症でない限り数分で直してもらえるだろうという算段だった。
というより、実は同じ眼鏡屋で過去にも全く同じケースの修理をしてもらったことがあった。本当に学ばない人間なので、数年に1回は眼鏡のフレームを曲げてしまい、そのたびに眼鏡屋で修理をしてもらっていた。
だからその修理が実は無料であるという事も知っていた。
ご迷惑をおかけしてます。J〇NS。
無料の修理であり、こちらの落ち度が原因でサービスを提供してもらっている以上、この上なく謙虚な姿勢で眼鏡屋に赴かなくてはいけないという事は分かっていた。
そして同時に、サービスにはそれ相応の対価を支払わなくてはならないという事も知っていた。
というのも、例の病気が流行する以前はカメラマンとして撮影バイトなどを頻繁にしていたせいで、こちらの提供するサービス(撮影)とその対価(支払い)については常に意識していたからだ。
「イベントやるんだけど撮影しない?交通費と昼食代は自腹でお礼は撮影させてあげる機会ってことで!後で写真は編集して送ってね!早く見たいから次の日までに送ってくれると嬉しいな!」という嘘みたいな依頼を受けたこともあった。(因みにそれは断った。)
そのため、たとえ数分で修理が終わる眼鏡のフレームであっても、そこにはそのサービスを提供するまでの見えない修練があって、そのサービスを享受した手前それ相応の対価を支払うべきだろうと思う反面、自分は無料のサービスに甘えているというジレンマを感じざるを得なかった。
「何らかのお礼をしたいが、無料と言っている以上ここで現金を支払うといった真似はかえって相手に迷惑をかけるだろう。じゃあ眼鏡拭きのような小物を購入してそれを対価とするか?」などと思いながら眼鏡屋に到着した。
自分「メガネのフレームを曲げてしまったので修理していただけますか?」
と言うと、店員さんは慣れた手つきでそのフレームがどの方向に曲がっているかを見極めた。店内は混雑していて、店員さんはさっそく店頭で修理を始めた。数分はかかるという事だったので、その間に店内を見て回り何かちょうどよい小物はないか物色する予定だった。
しかし、ここで予想外でかつ当たり前のことを忘れていることに気づいた。
私は眼鏡をかけていないのだ。
その眼鏡を修理してもらっているのだから当たり前である。
私の裸眼の視力は極めて悪く、そのため店内を物色しようにも何が置いてあるのか分からない。下手に動けばそこらへんの鏡や棚にぶつかってかえって迷惑をかけてしまう。もう一つ眼鏡を持ってくればよかったと後悔した。
そして、自分は何と物を考える能力が欠如しているのだろうと打ちひしがれていると、修理された眼鏡が少しづつ沈んでゆく太陽の、10倍の早さで戻ってきた。セリヌンティウスもビックリである。
店員「こちらでよろしいでしょうか。」
と言われ戻ってきた眼鏡をかけると、下を向いてもずり落ちることはなく、元の状態よりも良くなって戻ってきた気がした。
ありがとう。J〇NS。
そして良く見えるようになったその眼鏡で瞬時に店内を見まわした。何かちょうどよい眼鏡拭きや眼鏡クリーナーはないか。既に数回も修理してもらっている手前、何か対価となるものはないか。そういった小物が置いてあるであろうレジの周辺などを見まわしたがどこにも見当たらない。
同時に店員さんは「この客は眼鏡のフレーム修理以外に何かまだ要件があるのだろうか、あるのなら対応するし、ないのなら退店を見送るだけだ」と言ったような"待ち"の姿勢に入り、私が何か行動を起こさないかと、私と店員さんの間に微妙な距離が生じた。
しかしながら時間にすれば僅か数秒という、その距離が明らかな違和感に変わるまでの間に、私は店内の小物を発見できなかった。
そして混雑している店内で、店員さんは次のお客に目を向けているのが分かった。
私は開き直った。
先方が無料と言っているのだからそれに甘えようと。購入したメガネの代金に修理費が含まれているのだと自分の都合の良いように解釈して自分を納得させることにした。そう思えば無料サービスと対価の支払いのジレンマも解消する。
そうして、感謝の意を伝え退店するつもりだった。
しかしそうこう考えている間にも時間は経過し、私は一言も発さない変な客になっていることに気づいた。微妙な距離が明らかな違和感に変わったと感じた。
何か間を埋めなければと思った咄嗟の一言だった。
自分「あの、お支払いは?」
店員「こちらは無料での修理となっております。」
火を見るよりも明らかな返答だった。
そして自分がそれを言った瞬間に、それが余計な一言だったと理解した。
自分はフレーム修理が無料で行ってくれるサービスだという事を理解しており、それが購入代金の一部で賄われるサービスだと解釈したにもかかわらず、自らが無料のサービスに甘んじず何か対価を支払う準備があるという事を表明しないと気が済まなかったのだ。そして、無料なのだから対価を払う必要がないという大義名分を得るために、自分が無料だと分かっているにもかかわらず、わざわざ相手にその確認をさせたのだった。
おまけにその発言で、あわよくば店員から「ああこの人はサービスに対して対価を支払う用意がある人間なんだな」と思われようとしているのだ。
一体、何から身を守ろうとしているのか。
そう思って眼鏡屋で神経をすり減らした。