bump of chicken25周年めでたい。
2/11(昨日の日付間違ってた)
日記にすると勉強したことがまとまって良いかもしれない。
・アルバイト
・現代マクロ経済学講義4章
労働市場の摩擦を考慮したRBCモデル。サーチ理論を導入しましょう。懐かしのベバレッジカーブ出現(UoEの教授がベバレッジ推しだった)。結果として直接的に構造調整圧力のない部門であっても縮小、すなわち雇用の削減、を行う必要がある。総需要が一定で部門間の需要が変化するだけでこういう事が起こるので、各部門ごとに注目して政策打たないとだめだよね、総需要だけ考えちゃだめだよねというインプリケーション。面白い。あとこの本は割と理論パートの計算を省略するので式を追うのが大変。
・Cunningham, C., Ederer, F., & Ma, S. (2021). Killer acquisitions. Journal of Political Economy, 129(3), 000-000.
https://www.journals.uchicago.edu/doi/10.1086/712506
面白すぎワロタ。
お話としては既存企業がベンチャーのような新しい企業のイノベーションで市場支配力が弱まることを考慮して先手を打って買収しちゃおう(これをkiller acquisitionという)というお話があるが本当か調べてみました!その結果どうやらUS pharmaceutical marketでその様な現象が確認されました。という流れ。示したいのは、買収された後にベンチャーで進んでたプロジェクトがそのまま継続されたのかそれとも殺されたのか。
前半の理論パートでは2段階の単純なゲームを考え4つのpropositionを示している。
1. 既存企業と合併される企業におけるreplacement effectとsynergy effectの規模に応じて買収企業は買収したプロジェクトを殺す(kill)するかそのまま続ける(continue)するか決める
2. 市場の企業数nが増えれば完全競争に近づき、買収企業が買収することで自分の企業内の類似製品を食ってしまう(cannibalization)ことで被る損も小さい。その結果、ベンチャーと比べての開発にかけられる費用の差も小さくなる。(逆に買収企業が独占企業ならベンチャーは大きな開発費用を出して開発したいが、独占企業はわざわざそんなことしたくない)
3. 買収企業の持っている製品の特許の期間が長いほど、買収企業とベンチャーのかけられる費用の差は大きくなる。特許の期間が長ければ、その分cannibalizationの影響もデカいのでね。
4.買収企業はベンチャーと研究開発の分野が被っている(overlap)しているほど又はシナジーがあるほど買収したい(conditional on replacement effect < synergy effect)
というpropositionの上で実証パートに入る。
実証部分では製薬業界のデータを使っている。
誘導系のパネルデータ分析。内生性にはIVではなく様々な固定効果を置くことで対処しているみたい。とにかく様々なパターンの固定効果を考えてそれぞれの結果が理論パートと整合的かどうかを調べている。IVがないとこういう地道な作業を繰り返して検証する必要があるのかな?基本的にはある時点tで薬iが継続中か否かの被説明変数とそれが同じ分野の企業に買収されてしかも買収後というダミー変数との関係を見ている。内生性について殆ど触れられていなかったのでそこが少し気になる。
色々やって分かったことはkiller acquisitionは存在してそうで、しかもそれが監視当局の閾値のギリギリ下くらいで行われていて、全買収の6%くらいがkiller acquisitionに該当しそうということ。
技術的には、固定効果を色々作ってロバストチェックする必要性と傾向スコアで重みづけした推定量を使うことで時変の特性をコントロールできるらしいということ。これは知らなかったし、guadalupe kuzmina and thomas(2012)がそういった手法を使っているらしいので次に読む論文はこれにする。
あとこの話は実はちょうど1年前に記事になっていたので情報の感度が低い。
もっと精進せねば。
進捗はまとめた方がいいらしい
卒論期間中、継続的に勉強する習慣が消え失せてしまったのでリハビリのために毎日何をやったかまとめることにした。
なるべく時間をかけずに執筆することを目的とする。
2/11
・アルバイト
・現代マクロ経済学講義3章
コアマクロの予習。資本市場の不完全性を考慮したDSGE。114pの均衡の連立方程式がいまいち理解できなかったのでこれは2周目の俺に託す。Agency Costの存在から基本的なRBCで見られるgpdや設備投資が生産性ショックとほぼ同時に跳ね上がるという挙動がみられないよねというのがインプリケーション。難しい。
・Allcott, H., Braghieri, L., Eichmeyer, S., & Gentzkow, M. (2020). The welfare effects of social media. American Economic Review, 110(3), 629-76.
最後の方だけ残っていたので読んだ
感想:こんだけ綺麗な形でRCTやるにはそれなりの資金が必要だということで学生がRCTやるのは大変。分析は誘導形で非常にシンプルだが、所々で使えそうなテクニックがあった。Treatment Effectが時間によって線形に変化するならD*Tのような形で推定してこれにIVをかけるというやり方は参考になった。
・Cunningham, C., Ederer, F., & Ma, S. (2021). Killer acquisitions. Journal of Political Economy, 129(3), 000-000.
https://www.journals.uchicago.edu/doi/10.1086/712506
の理論パートまで。この後実証部分を読みたいがいかんせん長い。面白い。
本日の沼:
RでパネルGMMをやろうとするとpgmmを使うことになるがpgmmではlag項とのinteraction termが使えないらしい。おまけにlagをformulaの中で使おうとするとdplyrとstatsの2つのlagと干渉してややこしいことになる。最初からdplyr::lagなどと書いておけば干渉してもすぐに分かったはず。
この問題自体は既出だった。解決策は前処理の段階でlagを取った変数を用意しろということ。pgmm内でlag項とのinteraction termを使う際には注意する。
メガネを直して、神経をすり減らす。
眼鏡が壊れた。
厳密には、知らぬ間にフレームを曲げてしまい眼鏡をかけるとずり落ちるようになってしまった。恐らく何かの衝撃で曲げてしまったのだろう。
2年ぶりの眼鏡クライシスである。
因みに前回のクライシスはイギリスで発生した。おのれJ〇NS。
前回とは異なり、今は日本にいる身なので作ってもらった眼鏡屋に行くだけである。
そこで「メガネのフレームを曲げてしまったので修理していただけますか?」と言えば、相当の重症でない限り数分で直してもらえるだろうという算段だった。
というより、実は同じ眼鏡屋で過去にも全く同じケースの修理をしてもらったことがあった。本当に学ばない人間なので、数年に1回は眼鏡のフレームを曲げてしまい、そのたびに眼鏡屋で修理をしてもらっていた。
だからその修理が実は無料であるという事も知っていた。
ご迷惑をおかけしてます。J〇NS。
無料の修理であり、こちらの落ち度が原因でサービスを提供してもらっている以上、この上なく謙虚な姿勢で眼鏡屋に赴かなくてはいけないという事は分かっていた。
そして同時に、サービスにはそれ相応の対価を支払わなくてはならないという事も知っていた。
というのも、例の病気が流行する以前はカメラマンとして撮影バイトなどを頻繁にしていたせいで、こちらの提供するサービス(撮影)とその対価(支払い)については常に意識していたからだ。
「イベントやるんだけど撮影しない?交通費と昼食代は自腹でお礼は撮影させてあげる機会ってことで!後で写真は編集して送ってね!早く見たいから次の日までに送ってくれると嬉しいな!」という嘘みたいな依頼を受けたこともあった。(因みにそれは断った。)
そのため、たとえ数分で修理が終わる眼鏡のフレームであっても、そこにはそのサービスを提供するまでの見えない修練があって、そのサービスを享受した手前それ相応の対価を支払うべきだろうと思う反面、自分は無料のサービスに甘えているというジレンマを感じざるを得なかった。
「何らかのお礼をしたいが、無料と言っている以上ここで現金を支払うといった真似はかえって相手に迷惑をかけるだろう。じゃあ眼鏡拭きのような小物を購入してそれを対価とするか?」などと思いながら眼鏡屋に到着した。
自分「メガネのフレームを曲げてしまったので修理していただけますか?」
と言うと、店員さんは慣れた手つきでそのフレームがどの方向に曲がっているかを見極めた。店内は混雑していて、店員さんはさっそく店頭で修理を始めた。数分はかかるという事だったので、その間に店内を見て回り何かちょうどよい小物はないか物色する予定だった。
しかし、ここで予想外でかつ当たり前のことを忘れていることに気づいた。
私は眼鏡をかけていないのだ。
その眼鏡を修理してもらっているのだから当たり前である。
私の裸眼の視力は極めて悪く、そのため店内を物色しようにも何が置いてあるのか分からない。下手に動けばそこらへんの鏡や棚にぶつかってかえって迷惑をかけてしまう。もう一つ眼鏡を持ってくればよかったと後悔した。
そして、自分は何と物を考える能力が欠如しているのだろうと打ちひしがれていると、修理された眼鏡が少しづつ沈んでゆく太陽の、10倍の早さで戻ってきた。セリヌンティウスもビックリである。
店員「こちらでよろしいでしょうか。」
と言われ戻ってきた眼鏡をかけると、下を向いてもずり落ちることはなく、元の状態よりも良くなって戻ってきた気がした。
ありがとう。J〇NS。
そして良く見えるようになったその眼鏡で瞬時に店内を見まわした。何かちょうどよい眼鏡拭きや眼鏡クリーナーはないか。既に数回も修理してもらっている手前、何か対価となるものはないか。そういった小物が置いてあるであろうレジの周辺などを見まわしたがどこにも見当たらない。
同時に店員さんは「この客は眼鏡のフレーム修理以外に何かまだ要件があるのだろうか、あるのなら対応するし、ないのなら退店を見送るだけだ」と言ったような"待ち"の姿勢に入り、私が何か行動を起こさないかと、私と店員さんの間に微妙な距離が生じた。
しかしながら時間にすれば僅か数秒という、その距離が明らかな違和感に変わるまでの間に、私は店内の小物を発見できなかった。
そして混雑している店内で、店員さんは次のお客に目を向けているのが分かった。
私は開き直った。
先方が無料と言っているのだからそれに甘えようと。購入したメガネの代金に修理費が含まれているのだと自分の都合の良いように解釈して自分を納得させることにした。そう思えば無料サービスと対価の支払いのジレンマも解消する。
そうして、感謝の意を伝え退店するつもりだった。
しかしそうこう考えている間にも時間は経過し、私は一言も発さない変な客になっていることに気づいた。微妙な距離が明らかな違和感に変わったと感じた。
何か間を埋めなければと思った咄嗟の一言だった。
自分「あの、お支払いは?」
店員「こちらは無料での修理となっております。」
火を見るよりも明らかな返答だった。
そして自分がそれを言った瞬間に、それが余計な一言だったと理解した。
自分はフレーム修理が無料で行ってくれるサービスだという事を理解しており、それが購入代金の一部で賄われるサービスだと解釈したにもかかわらず、自らが無料のサービスに甘んじず何か対価を支払う準備があるという事を表明しないと気が済まなかったのだ。そして、無料なのだから対価を払う必要がないという大義名分を得るために、自分が無料だと分かっているにもかかわらず、わざわざ相手にその確認をさせたのだった。
おまけにその発言で、あわよくば店員から「ああこの人はサービスに対して対価を支払う用意がある人間なんだな」と思われようとしているのだ。
一体、何から身を守ろうとしているのか。
そう思って眼鏡屋で神経をすり減らした。
2020年の半分が終わるらしいですよ!?
年を増すごとに1日が過ぎるのが早く感じるようになるというけれど、流石に早すぎてボーっとしてたら気が付かないうちに死んじゃってるんじゃないかと思う。この話は何度もしているが、やはりそう思う。
この半年は何をしていただろうか。
ベトナム旅行をしていたのももう4か月前だったらしく、ちょうどあの頃が海外旅行に行ける最後の時期だったと思うと、随分長い間自粛生活をしているなぁと感じる。
思えば最後に大学に行ったのは3月末だったと思う。
そろそろ授業が始まって、また毎朝早起きするのかと思っていたが、そんなことはなかった。
春休みの間に期間限定アルバイトのようなことをしていたのだが、公的機関のようなところだったから、緊急事態宣言が出てからは出勤停止となってしまい、実質的な失職ということになっていた。
おまけに政府から支給されるはずだった10万円は世帯主に給付という事で私の手元には届かなかったので、収入面では思わぬ影響を受けてしまった。
収入は減少したものの、外出する予定もなく、事業家でもなく、実家暮らしの大学生なのでこれは家に籠っていろという啓示なのだと思うことにして、ヌクヌクと本を読んだりしていた。
幸いなことにその後、というか厳密には春休みのアルバイト中に別のアルバイトを見つけて今はそこで働くことが出来ている。リモート勤務も可能だし、成果を出していれば好きな時に行って好きな時に帰ってよいバイトなのでこういう時期には割と向いている仕事だったのかもしれない。
趣味の面でも大きく変わった。
あんなに熱中していた写真撮影も行くところが無いので今では殆ど撮影していない。数十万する撮影機材は部屋の隅でホコリをかぶっている。
これ以上例の感染症が長引くようだったら撮影機材を質に入れても良いんじゃないかと思う。質に入れるくらいなら専門店で売った方が良いが。
ギターも同様である。
一人で演奏することは問題ないが、スタジオに入って練習するなどというのは3密の極みなのでバンドでの練習は出来ない。ライブハウスも営業していないから、見に行くことも当然できないし、演奏することもできない(あまりライブハウスで演奏はしないが)。
一方で、外出せずに一人で出来る趣味に関してはむしろその幅を広げた感がある。
上の方で「ヌクヌクと本を読む」と書いたが、そもそも娯楽としてあまり本を読む類の人間ではなかった。小説や随筆を趣味として読み漁っていたのは小学生の頃の話で、それ以降、本といえば専門書や教科書だった。
因みに小学生の頃の愛読書は、山崎豊子だったり森見登美彦だったりしたので、割と節操がない読書をしていた。
斜陽族だったり、堕落した大学生活だったり、権力闘争のようなものに妙に興味がある嫌な小学生だった。おそらくそういったものを"大人"と思っていたのだろう。
斜陽族は"大人"か?
一方で、我々の世代は何故か重松清の小説が"教育的"であるという一種の洗脳を浴びていたのでそういったものも読んでいたが、あまり好きではなかった。
いかにも、おじさんの考えた小中学生という感があって違和感しかなかった。
話は戻って、じゃあ最近何を読んだかと言うとやはり若干の専門書寄りにはなるが割と軟派な本を読むようになった。
経済学者はやたらと"資本主義"と戦いがちだが宇沢弘文はその筆頭かもしれない。彼の名前は経済学部で学ぶ前から知ってはいたが、彼は本当に"資本主義"と戦っているのだと思っていた。
実際、経済学を専攻すると宇沢がいかに新古典派に貢献し、その結果社会的共通資本のような思想に至ったのかが、少なくとも経済学を学んでいなかった頃より分かった気がした。なぜ今、宇沢の本が売れているのかは分からないが。
イノベーターのジレンマの経済学的解明についても最近流行りの構造推定を分かりやすく書いていたりと娯楽として読める内容だった。
もっと軟派なところでは最近買ったDesigned in the USSRが面白かった。
日本語版もあるのだが、英語版はハードカバーで装丁も良かったのでそっちを買ってしまった。英語は読めないけどデザイン本なので大丈夫。
しかし、この手のデザイン本は高いのでそうポンポンと買えるものではないのだが、旧共産圏の建築やデザインには目がないので買ってしまった。
イギリスにいたころにヨーロッパ諸国を割と旅行したのだが、西欧より東欧の方が個人的には興味がひかれた。それは主に旧共産圏の国やロシアに近い地域で感じたことで会って、おそらく日本じゃなかなか見られない建築様式だったり、街のインフラだったり、都市計画がそう思わせたのだと思うのだが、ともかくこういった本は買ってしまう。
経済学を専攻し割と資本主義に近い側にいるのに、興味は旧共産圏にいくのだから私の節操の無さはここにも表れている。思想的には全く異なる側にいるからこそ面白くおかしく鑑賞できるわけで、実際にその体制に根付きたいとは微塵も思えないのだが。
ネタじゃなきゃこんなシャツも買えない。(着れる場所が無いのでタンスに眠っている)
「半年は一瞬だ」などと書いたけれども、こうやって書いていると案外長かったことに気づく。
このままでは独りよがりの読書が加速してしまうから、早いところ気兼ねなく外出し、写真撮影のできるようになってほしいものだと思う。
ぬいぐるみに向かって話をする人
絶妙に時間を持て余している。
というのも4月末から授業が始まったものの大概授業初めの2-3週というのは退屈なものだからだ。イントロだったりその分野の概論だったり、教授の個人的なお話だったりするわけで、「じゃあ次週から始めましょうか」的な雰囲気がある。早く始めてくれ。
加えて今年度はオンラインでの授業ということもあり教授がオンラインでの授業に戸惑ったり、はたまた参加者が音声をミュートしないために授業が中断されたりと更に授業は円滑に進まない。
授業の予習はいらないので余った時間で本でも読もうかと思うが、しかし数週間後には忙しくなっていることは目に見えているので、この隙間時間を上手く使える方策を早急に考えねばならない。
とりあえず勉強らしいことはしているが、これはどうなんだ。
話は授業に戻る。
授業をする側もされる側もオンラインでの授業には慣れていないから仕方ないかもしれないが、ただでさえ前年度に比べて少ない授業回数で内容は薄く、自習のための図書館等施設は使えないのに授業料据え置きというのは、こちらの都合だけ考えれば納得いかないものである。
もちろん学事もオンラインで対応しているからその分の労力は計り知れないわけで、トータルで見たら支払っている分の授業料が浮いているという事は無いと思いたい。
オンライン授業の利点は時間の制約が小さいことにある。
大半の授業はオンデマンド授業になっており好きな時間に見ることが出来る。
当然倍速もできる。予備校なんかでは当然のごとく導入されているシステムだが、日本の大学の授業でオンデマンドというのはあまり聞かない。いやあるのかもしれないが、ともかくこれのおかげで随分の時間は節約できている。
当然、節約した時間は無駄に使っているのだが。
エジンバラ大学ではオンデマンド授業があったので自宅でも受講できたが、あの国で誰が好き好んで家の中に長時間いようと思うのか。
積極的に外出していたためあまり活用することはなかった。
オンデマンド授業を嫌う教授もいる。
相手の反応が分からないと授業が進めづらいらしい。分からないでもない。
私は個人的に毎週日曜は勉強会をしており、なぜだか私が進行係である。
1冊本を決めて指定した章を読んできて読み合わせる。
しかし自分で読んでいても見落としがちな点もあるので、誰かが読みながら解説を交えて勉強をしていくという形式をとっている。その読み進めるのが私である。
例のアレによる自粛の前から勉強会はオンラインでしておりその進行役は私であった。
だから、反応のないパソコンに向かって話すのは教室で顔を見ながら話すより無機質的で味気ないというのもわかる気がする。
しかし、個人的には反応のない相手に話すということはさほど辛くない。
ぬいぐるみに向かって話をしていたからだ。
ここだけ切り取るといかにも精神に不安を抱えているようだがそうではない。(そうではないと思いたい)
何故だか知らないが、私の家には物心ついたころからぬいぐるみが多かった。
幼稚園の頃はそのぬいぐるみを布団の周りに並べては一緒に寝るなどしたものだった。
加えて、通園していた幼稚園では1人1体のぬいぐるみを通園時に常に携行して「お友達」として愛でる文化があった。
だから、「お友達」としてぬいぐるみに話しかける行為はあまり不自然なものではなかった。
そして、何故だかたくさんあったぬいぐるみを部屋に並べては、その前で今日1日あった出来事を話していた。私の講義スタイルは既にここから始まっていた。
ぬいぐるみは決して語りかけてくることはないので一方的に話すのみである。
ぬいぐるみが一斉に洗濯に出されたときは壁に向かって話をしていたらしい。
流石の親もこれは止めたという。
私はここで「虚無」と話す能力を得た。
生来のヲタク的気質と「虚無」に向かって話をするスタイルは勉強の面では多少のメリットがあった。
大抵、ヲタクというのは自分の関心分野については饒舌になってそれを流布したがる。
そのため、その気質をもって中高での勉強では特に面白かったことなどを自宅に帰ってホワイトボードを使い、再度家族に説明するという事をしていた。
しかしながら、必ずしも家族はその内容に興味があるわけではない。
大抵は家族に無視されながら、しかしやはり「虚無」に向かって自らの学んできたことを勝手に話すのである。迷惑極まりない壊れたスピーカーである。
しかし、話ながらもその日学んだことの整理くらいはすることが出来た。
私はここで「強靭なメンタル」を得た。
一方でこのような一人よがりな話法が受け入れられるはずもない。
大学1年の頃の初めてのアルバイトは塾講師であった。講師と生徒が一対一の個別指導塾であり、生徒は他の生徒と話が出来ない一方で、講師は生徒の反応がその小さい所作まで目の前で見えて分かるというものだった。
経営側の観点からすれば、大学1年生の講師など殆ど何もできないのに等しいため重要な顧客に充てるよりは、新規顧客の開拓や専任の講師では教えない少しクセのある生徒に1年生講師を充てて1年生講師の様子を見るのだろう。
案の定私は"様々"な生徒を受け持つことになった。そして大概は私の話を聞いてくれない生徒だった。だからこそいかにして話すべきことを伝えるかという事を考える機会にもなった。因みに塾講師は1年で辞めた。
話したいことを話していればよいわけではない。
私はここで「程度」というものを得た。
失礼かつ偉そうな話だが、オンライン授業を受けていると数名の教授は「ぬいぐるみ」に向かって話をしているなと感じる時がある。
受講しているこちらの様子が分からないため延々と話し続けてしまう。
彼らは何らかの分野で傑出した能力と知識を持ついわばヲタクの中のヲタクである。
そして大抵の場合「強靭なメンタル」も持ち合わせているからこちらの声が届かない。
一方で僅かな予備校時代に視聴していたオンデマンド教材では「生徒」に向かって話をしているなと感じた。彼らもある分野においては群を抜いた知識量と能力があるわけだが、話法が異なっていた。
当然この理由は自明で、教授が研究者であり教育者でない一方、予備校講師は教育者であり研究者ではないからだ。
しかも予備校講師は扱う内容が教育指導要領にある程度従うので同質財を扱っている。
差別化するには話法がより重視されるのだ。
しかし、例のアレによりオンライン授業が主流となる中で大学の授業がより予備校形式に近づいていくのではないかと思う。
キャンパスは使えないため、密になるような期末試験は実施できない。
教室での期末試験は出来ないので各授業で小テストをしてみたり、複数回のレポートで評定を決めたりする。
期末試験一発のような授業が減り、各授業の小テスト等で学生との交流回数が増えれば自ずと授業の内容というものにより注目がいく。
普段授業に出ていなかった人間ならばなおさらである。
そして具体的には、同じ内容や難易度ならこの教授の授業は面白いのか、分かりやすいのかといった授業内容がより重視され、教授の話はサブとして教科書を自分で読み進めて一発試験のような受講者は減少するのではないか。
そして話法はその内容をどう伝えるかという最終決定権を持つ。
どんなに大したことのないことも、もしくは大したことも話法一つで内容は左右される。余談だが、だから詐欺師は話が上手い。
各授業は必ずしも同質ではないが、話法が重視されるという意味で予備校的になるのではないか。
大学は予備校ではないという言説は腐るほど聞くが、しかし予備校寄りにシフトせざるを得ないのではないかと思ったりするのである。
教育もまた大学の役目であるからだ。
しかしその意味で教授の負担は増えるし、研究の時間は減る。
例のアレにより不便するが授業料は据え置きでも良いかなと思う理由はここにある。
でもやっぱり授業料は安い方がいいけど。
おうちWork
何故だかブログを書いている。
例のアレのせいで大学は当面の間閉鎖ということになり、当然図書館に行くこともできなくなった。
例のアレが問題化するまでの生活はどうだったか。
「栄光ある孤立」を貫くという謎の信条と出不精な性格が相まって普段から外出することはなく、外出する目的といえば大学・必需品の買い出しくらいしかなかった。
ごく稀に私を飲みに誘おうという奇特なニンゲンが連絡をよこしてきて、「こういった機会を大切にせねばなるまい」とノソノソと家を出る以外はやはり基本的に家にいるような生活だった。ところで「大切にせねばなるまい」と思いながらしかし自分からは交流をしないのである。なんと都合の良い。
しかしこうやって考えると、現在の自粛状況でもあまり大差のない生活が送れそうなものだが実際はそうでもない。
最も重要でかつ隠されていた事実というのは実のところ「移動」にあった。
大学に行くにせよ、買い出しに行くにせよ必ず移動しなくてはいけない。例えば私は家から大学まで片道1時間弱かかるわけであり、往復で1日少なくとも2時間を移動に費やしている。
移動している時間というのは基本的に「死に」である。
電車で移動するなら車内で本を読んだり、パソコン作業を出来るかもしれないがそれでも職場や普段従事する環境で行うよりは効率が劣る。
自転車や車で移動するならましてやである。
しかし「死に」を生む移動も実際のところは緩衝材となっている。
人間は3時間も4時間もぶっ通しで集中は出来ない(少なくとも私は)もので、そういった移動による「死に」は都合の良い転換点となっている。
大学に通わねばならない状況で、こういった移動による死に時間はいわゆる不可抗力であり外生的なショックである。
避けられない制約の中でいかに振舞うかというのは常に考えることであるし、こういったことを割と自然な前提として行動している節がある。
しかしこの普段接する「死に」が無くなってみてはどうか?
在宅勤務は移動がない。移動が無いので死に時間も生じない。
普段費やしている2時間はそのまま別のことに使えるようになる。2時間多く睡眠をとっても良いし余暇に費やしても良い。
非常に「効率的」に見えるが実際のところ非効率なのではないかというのがここ数週間の所感である。もっと言えば「死に」だと思っていた2時間はかなり効率的に使われていた。
ところで、効率的という言葉の扱いは非常に難しいのでここでは「良い」くらいの曖昧な定義にしておく。
何度も述べているように「死に」がない自宅作業において、やるべき事とそうでないことを意図的に区別する必要がある。
コアタイムがきっちりと決められたリモートワークならまだ状況はましである。
しかしそういった外的圧力がない状況で、朝同じように布団の中から出て作業に向かうというのは割と心憂い。
在宅作業では生活と作業の境界が連続的になりどこまでが私的でどこまでが公的なのかというのが区別しづらい。むしろ私的領域に公的な部分が侵入してきているといった方が正確かもしれない。
机で12:59まで昼食を取っておりその一分後には作業に戻るというのは時間の上では効率的だが果たして集中しているかといわれると疑わしい。
夜はオンライン飲み会をするその机で昼は試験勉強をする。その境界をどこに設定するかという判断は自分自身をどれだけ非情に扱えるかという能力を要する。
大学までの1時間はそういった不可避の切り替えという意味があった。
加えて、「死に」時間は時間の可視化の役目もあった。
今から家を出れば大学には何時に着くというのはすぐに計算できる。逆算すれば何時間大学にいて作業できるかという事もわかる。
在宅ではどうだろうか。移動による「死に」時間がないので与えられた2時間は全て作業に投入できる。しかしその分自由に扱える時間は多くなり明確に何時から何時までが作業時間であるという逆算がしづらくなる。
前述したように私は3時間も4時間もぶっ通しで集中できるほどの能力を授からなかったので、自由に扱える作業時間が増えたところで必ずしも能率が増すとは限らない。
与えられた時間が長くなるほど日ごとの能率のブレは大きくなり推定がしづらい。
扱える時間は短いほど、より詳細なスケジュールが立てられる。
ところで、実のところ与えられた2時間の半分も作業に投入していないのが実状である。
2時間の使い道というのは、不可避の行動の結果ではなく自らの判断で行っていることであり、その意味で毎日変動する。それ故に「いつも」何時間作業するといったような指標が作りづらくなり、どれだけ集中していたかが曖昧になる。
実は在宅の方が「非効率」ではないかというのはこの点にある。
外的な切り替えの欠落に加えて、内的な甘えが顔を覗かせるからだ。
こういったことを考えれば、在宅での作業は「その場その場に応じての最適化」が解なのかもしれない。しかし当然これはそのたびに状況を考え直す必要があるしその分の労力を要する。そしてその度にありていに言えば自分にストイックである必要がある。
もう一つは今までのように外的圧力を作り出すことである。
意志薄弱な私にとってはむしろこの方が考えることは少ない。同じような外生的ショックを与えてそうせざるを得ない環境を作り出す。
しかし、このような薄弱な意思で良いのだろうか?
もっと主体的な意思決定で行動するべきではないのか?
人間は与えられた"理性"の下で意思をもって行動するべきではないのか?
う~ん
どうしたものか。
屋根裏に引っ越しました。
環境変えるのが一番。
入門2019年概論Ⅰ
感化されたので僕も2019年振り返りやりたいと思います。
昨年も同じように2018年振り返り記事をこのブログに投稿して†黒歴史†を生み出してしまったので今年は冷静に行きたい。
基本的にはGoogle Photoの時系列に沿って振り返っていこうかと
そしてなるべく短く。僕のブログは長くなる傾向があるので。
1月
ブログ名の通りエジンバラにいました。
Hogmanayという年越しイベントに行きました。チケットだけで1万しましたが、Franz Ferdinandを見れたので良かったです。
ここら辺からメンタルヘルスに異常をきたしていたので、2日間くらい布団から動けないような生活が続きます。
原因はおおむね日照時間の短さと無限に湧いてくるネズミだったと思います。お昼の11時で太陽がこれしか昇らないのは想定外でした。
イギリス人のフラットメイトと唯一の日本人の友人に助けてもらいました。
2学期の授業が始まって楽しんでいました。
メンタルが崩壊している中で昨年ロンドンで会った某ヘッジファンドの方からエジンバラで会おうという話がありました。
ウイスキーを散々飲まされた挙句、インターンに来ないかという話を頂きました。
正直、数か月後まで生きている自信がなかったので丁重にお断りしました。
2月
授業が一週間休みの週があったのでエストニア・ドイツ・ハンガリーを回ってきました。
ハンガリーのブダペストはもう一度訪れたいと思います。物価が安い上に東欧と西欧の雰囲気が混ざり合っていて面白かったです。
髪の毛も伸びまくっている時期です。散髪ってしなかったらどうなるのかな~とか思って伸ばしていました。
それとここら辺が最も精神衰弱甚だしい時期です。夏目漱石もこういう感じだったのかな~とか思っていました。授業以外は布団から出ていませんでした。
ごはんも即席めん以外食べていなかったような。体重が激減しました。
正直あまり記憶がないです。
タバコを咥えてグレています。
3月
髪を切りました。日照時間も長くなりフラットのネズミも一掃されて精神状態が回復し始めます。
フジタがゼミ試を受けるのでゼミ課題の添削をしていました。添削と言いながら赤を入れまくって殆ど俺の課題みたいになっていました。ここら辺で因果推論の復習ができたので良い機会でした。
また、大学のイベントや知り合いのパーティーなんかに顔を出すようになりました。
社交性を取り戻し始めます。フラットメイトの献身的なケアのおかげで英語が話せるようになりました。
それと家族がエジンバラに来ました。
ところが、エジンバラ空港に到着した瞬間に祖父が他界し、即帰国の便を手配することになりました。そして父の持病も悪化するという非常事態で観光どころではありません。久しぶりの再会は半日で終了しました。
一方、ここら辺から大学院に進むことを真剣に考え始めます。
エジンバラ大は交換留学経験者だと大学院が安くなるという制度を知り悪くないなぁと思ったりしていました。
神取ミクロをkindleで購入し経済学を真面目に勉強し直し始めた時期でもありました。
また、履修していた経済史の授業の教授が非常に面白く天才的だったので経済学をもう少し学んでもいいかなぁ、とも思いました。
また、3月は友達とスコットランド旅行をしたりするなどもしました。
ウイスキーの蒸留所を巡ったり、柱状節理だらけの島に行ったりしました。
4月
授業が4月半ばに終了し、一か月ほどの休みを得ました。
経済史の教授と分かれるのが残念だったので録音した授業を聞きまくっていました。
ダブリンではギネスビールの工場に行きました。ここでさらにビール好きになります。
ウェールズには中学の先輩がいたので訪問しました。同じイギリスでも全然文化が違う事に驚きました。
それからポルトガルにも行きました。
気候も良く料理もおいしく物価もそこそこということで、こちらも再訪したい国の1つです。リスボンの近くにユーラシア大陸最西端のロカ岬がありそこにも行きました。
水曜どうでしょうのヨーロッパ完全制覇のゴール地点です。
しかしちょうど10連休の時期前ということもあってか、日本人が異常に多く萎えたのを覚えています。
ポルトの空港でミクロの勉強していたら強そうな人に絡まれました。
どうやら経済学者だったらしく色々話してくれましたがポルトガル語で何を言っているのかはよくわかりませんでした。式変形だけ見て分かったような顔をしていました。
5月
試験期間という事で勉強漬けでした。
経済史と確率論の授業が割と重かったので連日勉強ばかりしていました。
一方で、気候は日増しに良くなり近所の公園では日光浴をしている人を散見しました。
精神衰弱は徐々に回復し、リハビリテーションのため公園に通っていました。
試験が終わるといよいよ帰国です。
航空券の名前を間違えて購入し危うく帰国し損ねるところでした。
フラットメイトも実家に帰り始め、フラットは僕一人になりました。
スコットランドに導入されたHITACHI製の新列車を見に行ったり、近くの観光地に行ってみたり、スーパーでありったけのビールを買って飲み比べをしたり、近所の丘に登って日の出の写真を収めるなどしていました。
友達と植物園に行き花を見るという風流なこともしました。
ずっと気候が悪かったのに、帰国前一週間はずっと晴れていました。
冬のイギリスはお勧めしません。長くいると心をおかしくします。
帰国後、教授に冬のスコットランドなんてよく行ったねと言われました。
その通りだと思います。
6月
帰国します。
飛行機の中で仲良くなった中国人が日本で友人と会えない、と言って困っていたためホテルまで送り届けたりしました。帰国早々英語を話していたので日本に帰ってきた感じがしませんでした。
電車賃を払ってあげたためか、その後一週間ほどお礼のメッセージが届き、正直面倒臭かったのを覚えています。
その後1週間程は友人らと会って食事をしたり遊びに行ったりしていました。
帰国したのはよいものの、授業は9月末から始まるのでやることがありません。
大学図書館に通い経済学の本を読み漁っていました。
イギリスで読みたい本が溜まりに溜まっていたので毎日通いつつ、三田祭論文のデータ収集などをしていました。
養老孟司が戦後は読む本がなく本があったら暗記するまで読んだと言っていましたが、若干そのような状態でもありました。しかし、日本語を読むのが遅くなっており自分の能力低下に嘆いたりもしました。
7月
大学院に行くのは良いものの、インターンをして自分の機会費用を知りたいなという気持ちがあったのでインターンを何社か応募しました。
大学院ではなくアクチュアリーとして働くのも良いと思っていたので保険会社や金融系などにエントリーしました。ネタで郵船にも応募しました。結果的に行きたいところには全て行けることとなり8-9月の予定が埋まりました。
大学院に落ちた保険としての就職も考え、インターンに行こうと思ったのもあります。
その他ではRの勉強会に行ってみたり、祖父の墓参りに行ったり、意外な出生秘話的な話を聞いたりしました。
三田論に必要なデータが取り終わり、分析するかーとか思って一通り結果が出たところで殆ど同じ内容のワーキングペーパーを見つけてしまい、三田論が白紙になりました。
8~9月
世間は夏休みでしたが、こちらは6月からずっと休みです。
休みであることは変わりません。
親戚の集まりやサークルの夏合宿に行ったりしました。
それから写真活動の一環としてPMIC(photo match inter college)に出ました。予選敗退し上手い写真をたくさん見て、己の技能の低さを実感しました。
審査員の好き嫌いが結果をかなり左右したとはいえ、上手い人は上手いんだなぁと当然のことを思いました。
インターンはというと、アクチュアリーインターンに2社行った結果「こりゃねぇわ」と思って無事方向転換することとなりました。Excel事務作業のエキスパートになりたいとは思えませんでした。
大学のサークルの先輩が実際に働いておりオブラートに包まない意見を聞くことが出来たのは良かったです。
一方で、7月に偶然見つけた某総研のインターンに2週間弱参加しました。募集若干名というのでダメもとで応募しましたが、経済学の知識を生かした仕事楽しいじゃんと思いました。計量経済学の知識で分析を行い、正直悪いところが殆どなく、入社後修士行けばいいじゃんという甘い声に揺らいだりしました。
先方からの評判も良く、その後の食事会でオファーを頂き大学院に落ちたらここに行けばいいかと気が楽になりました。
一方で、三田論のテーマをゼミの教授に報告したところ、同じテーマを扱う教授を紹介していただきました。お会いしてお話し三田論の方針がここで決まりました。
また、もう一つの白紙になった研究テーマを持って報告したところ、案外評判がよく大学院に来れば面倒を見ても良いという返事を頂き、こちらも保険が出来たので気が楽になりました。
将来の不安が若干解消され、いよいよ神経衰弱は全快の兆しを見せ始めたころです。
このころからバイトも始めました。企業の研究所でRAという名のバイトをしはじめ、高学歴集団の圧を感じながらノンビリと事務作業などのお手伝いもしていました。
コンサル出身の上司とウマが合わず、コンサル行くのはやめようと思いました。
Bump of chickenのライブにも行きました。相変わらずよかったです。
10月
メンタルが全快します。
三田論執筆・授業・中間試験・バイト・三田祭ステージ練習
などのため一瞬で過ぎ去りました。
ミーハーなのでラグビーW杯をHUBで見ました。
スコットランド戦だったので正直どちらが勝ってもうれしかったのですが、やはり日本人なのだという事を思い知りました。日本が勝ってよかったです(小並感)
11月
三田祭でした。
写真展に出展し、論文発表をし、ステージで演奏しました。
授業も三田祭前に試験を入れて来るので10月同様怒涛の忙しさであまり記憶がありません。
サークルの同期と練習のため毎週末会っていたのが楽しかったくらいです。
12月
少しは暇になるかと思いきや全くそんなことはなく課題などに追われる日々でした。
さすが師走とは言ったもので、有難いことに忘年会などでも忙しかったです。
それから就職・院進のどちらに進んでも良いという保険があるということで、少しチャレンジしても良いのではと経済学の勉強に力を入れ始めました。
どこか他の大学を受験することになるでしょう。
年始に入試要項などを読むことにします。
まとめ
情緒が不安定な1年でした。
ほぼうつ病の状態から奇跡的な回復を見せたので、来年はメンタルヘルスの安定を目標にします。
9月に大学院試験、3月に学会発表、2月にインターン1社が決まっているので何とかやっていきたいです。
三田論を加筆修正してどこかのジャーナルに投稿するという話もあるんですが、どこが良いですかね。識者の声をお待ちしております。
目下の楽しみは箱根駅伝です。
それでは、また来年。